万華鏡を見る時間が始まった。どうやら超音波で水晶体を破砕し、それを包む袋から吸引して取り出す行程に入ったようだ。何度も液体が注ぎ込まれ、その度に、薄い青色と白色の破片が万華鏡の中で光り輝く。70年近い時たちの記憶が、砕け散り、小さな破片となって飛び散り、流されて行く。「これで親から貰った宝石とは長いお別れだから」と目まぐるしく、美しく変わる万華鏡に見入った。万華鏡は前橋市にS・ウルマンの「青春」のいしぶみを訪ねた場面も再現した。

「青春」詩碑紀行−群馬県前橋市:2006.05−
  前橋市は全国でも有数の文学碑の多い(総数130基を越える)街である。中でも詩碑は50数基と全国一の数を誇るので、もう何度訪れたことやら。
  詩人の町の中心に萩原朔太郎が座っている。
  「わが故郷に帰れる日/汽車は烈風の中を突き行けり/ひとり車窓に目醒むれば/汽笛は闇に吠え叫び/火焔は平野を明るくせり/まだ上州の山は見えずや」(詩「帰郷」)敷島公園にはこの詩を刻んだ詩碑が建ち、その奥には記念館がある。日本の現代詩の父を巡る思い出は数多く、筆者の聖地、憩いの場所である。
  朔太郎の生家に近い広瀬川は、今日も満々と水をたたえ、静かに流れていた。その川畔には前橋文学館が瀟洒な姿で建っている。文学館の前の遊歩道には「萩原朔太郎賞」を受賞した詩人たちの詩碑が並んでいる。前回の訪碑から、また4基増えていた。
  広瀬川を朔太郎橋で渡った小公園にS・ウルマンの「青春」詩碑が木漏れ日を浴びていた。この碑は前橋市とウルマンの居住したアメリカ・アラバマ州のバーニングハム市との交流.友誼の証として建立されたものという。黒御影石の巨大な碑面には百日紅・バラの彫刻をあしらって、詩「青春」全節の原文(英文)と日本語訳が活字体で刻まれていた。裏側に廻ると「平成10年5月 前橋青春の会建立」とあった。散々探し回った詩碑だっただけに発見に喜びは大きかったが、生憎、碑面には木陰が散らばり、まともな写真は撮れなかった。
「(前掲に詩句に続いて)
人は信念と共に若く疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。」
          
 (写真ウルマン「青春」詩碑クリック:前橋文学館と吉原幸子詩碑:敷島公園・萩原朔太郎詩碑)
  二つの「青春」詩碑探訪は終わった。残るは山形・米沢市の山形大学工学部(翻訳者・岡田義夫が講師として奉職)にある一基をのみとなった。  
  詩碑探訪は終わりに近づいたが、私の「青春を探す旅」はまだまだ終わらないだろう。「人は信念と共に若く疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる」の詩句を携えて旅を続けよう。
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