浦和市から蕨市までは京浜東北線で2駅。駅前から延びる商店街の細い道は東京の下町の商店街を思わせる雰囲気。夕暮れに急かされるが朝から散歩に疲れた足取りは重い。商店街が終りに近づくと、右手に市民会館(蕨城址公園)。その裏手の公園東側に「成人式発祥の地」の記念碑と並んでサミエル・ウルマンの「青春」詩碑がいた。
  白御影石に黒御影石を嵌め込んだ2m近い詩碑には、活字体で、英文の原詩と岡田義夫(埼玉県生)訳詩の全文が弱くなった光線を浴びていた。
「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。 年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑こぎや、不安、恐怖、失望、こう言うものこそあたかも長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をもあくたに帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。(後略)」
 
  「青春」の詩は20年ほど前に作山宗久氏の書物で復活した。日本の高齢化社会の入口であった。筆者もそろそろ体力の衰えを感じ始めた時で、一読して魅了され、関連の書物を貪った。思えばそれ以来だから、この詩との付き合いは長い。持参した資料には、この詩についてこう解説している。
『日本に多くの愛好者が見られるこの詩は、1945年12月号のリーダーズ・ダイジェストに掲載され、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥がいつも机の側に置いていると報じたことがきっかけになって広く愛好されるようになった。マッカーサーが東京の司令部に飾っていたものが、経済復興の相談のために呼ばれた電力王・松永安左衛門氏の目に留まり、この詩に感動し、写し取り、日本語に翻訳して友人や仕事仲間に配ったのが日本で広まるきっかけになった。また、ロバート・ケネディがエドワード・ケネディへの弔辞にこの詩を引用したのも有名な話である』
 何時の間にかこの詩が身に染む季節を歩いている。今日の訪碑も、青春の道と同様に真直ぐな道より、曲り道、迷い道が続く道のりであった。こんな時節こそ、詩句「歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ」がお似合いだ。老いかがまった青春に出会ったひと時であった。

長いお別れ−横浜市:2007.02−
  手術着に着替え、重病人の扱いでストレッチャーに乗せられて中央手術室へ降りた。手術室前で何度も氏名を確認される念の入った衛兵・ナースの交代を終えて、自動扉の奥へ向かった。6個並んだ手術室の4番目の部屋に入る。不気味な無影燈とは本当に久しぶりのご対面。手術台に仰向きに寝かされると、頭上の無影燈から強烈な光が溢れてきた。両側からナースが獲物に取り付いて「心電図計」「血圧計」「血中酸素測定計」を手早く取り付け、体はしっかりと手術台に固定された。手術前の不気味なひとときは「それでは」と短い言葉で破られた。左眼付近だけ空けて、顔全体を白い布で覆われる。無影燈の光が一段と増幅され、告別式が始まった。  
 「麻酔の注射をします。痛いですが我慢してください」との声に手術台の端を握る。眼の下のほうで一発目の爆弾が破裂。歯の治療時の麻酔と同様に、脳天に針を刺された気分だ。麻酔薬が注入されるときはたまらなく痛い。歯をかみ締めて我慢しようとしたが、生憎、歯とは長いお別れを済ませていた。手術台を握る手に一段と力を入れて耐え忍ぶ。爆弾は左眼の周りで合計4発炸裂した。痛かった分だけ効き目は抜群であった。メスを使っているらしいがもう痛みはなかった。

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