お水取りの最中だった。 深谷市、熊谷市と盛り沢山のいしぶみを訪ねる行程を精力的にこなし、さいたま市の別所沼公園に急いだ。そこには紛れもなく私の青春がある筈だ。 B・ビュフェの絵のような直線が空に手を伸ばしていた。天を指さす巨大な化石植物・メタセコイヤの並木がこの公園の特色で、冬枯れの枝は空を掃き清めていた。パリ近郊のモレ・シュル・ロアン(A・シスレー居住地)やセーヌの河畔のアルジャントゥイュ(C・モネ居住地)の風景などにも似た、印象派の画家たちが好んだ風景が広がっている。 神保光太郎「冬日断章」の一章「孤独」を刻んだ詩碑を再訪する。 「沼のほとりをめぐりながら/神をおもふ/水面に映るひとひらの雲/羊の孤独」 が冬日を受けて、光太郎の自筆を浮かび上がらせていた。満開の梅の古木に守られた今日の詩碑は一段と清々しかった。そこからは木の間越しに真新しい小さな建物が見えた。写真を見ていたので「あれだ!」と叫ぶ。長谷川かな女の黒御影石の句碑(「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」)の近くであった。 芝生で囲まれた百坪ほどの敷地は植えられたばかりのパンジーで飾られていたが、広い敷地に5坪ほどの建物がポツンと建っていた。道造が夢見ていた山荘だ。間取りや十字架をあしらった窓などが道造の青春を物語っている。往時の日本では考えられない斬新なデザインの故に道造の設計は時代の波に流されることなく新鮮さを保っている。南側の端には竣工記念のプレートが設えてあって、建設経緯が記されていた。
(神保光太郎詩碑:ヒアシンスハウス−クリック設計図:ウルマン青春詩碑) P1へ戻る −P・2− P3へ進む |