いしぶみ紀行・青春

   「青春」何という魅力的な言葉であろうか。「出会い」「旅立ち」「ときめき」「好奇心」「希望」「曲り角」「迷い道」「疾風怒濤」・・・とこの二文字は言葉の万華鏡を見せてくれる。「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」で始まる、S・ウルマンの有名な詩「青春」がある。ここ一年間に出逢った「再びの青春」を思い起こしながら、この「青春」詩碑を訪ねる旅をしてみたい。

同窓会−和歌山市:2006.07−
  50年振りの再会は賑やかに始まった。誰もが「久し振り」を連発し、興奮して声高だった。次々と握手を交わした顔は50年前の若々しい顔に戻っていた。あの日、あの時、校門を出て、別々の道を歩き始めた老人たちが、赤レンガの校門に向って今一度歩き始めた。
  古稀を間近に控えて、話題は「病気」に始まり「介護」「死に方」に及んだのは当然のことであったが、一方、「パソコン、インターネット」とみんな時代に後れまいとしていた。
  「もう一度が許されるなら、歩いてきた道を今一度歩くか」の話が座を賑わす。時間で厚化粧した同窓生に相応しい話題だ。「同じ道を歩くよ」と自信を持って理学博士は答えた。見事な人生だ。
  高校時代は、物質的には、貧しい時代であった。若者たちは異なる世界への幾つもの搭乗口を前にして、行先不明のボーディングパスをぎゅっと握り締め、ただひたすらに時を紡いでいた。その後、幾つも曲り角で、選択を余儀なくされた。みなそれぞれに沢山の曲り角を通過したはずだ。角を曲れば全く異なった風景もあったはずだ。振り返って「同じ道を歩くよ」と答えられる人は少ない。
  「もう一度が許されるなら、今の女房と結婚するか」と話は続く。みんな答えに窮した。先程まで、女性の少なかったクラスメートは、一様に、私のマドンナを探して会場を見渡していた。あの時の私のマドンナは夢の世界の人だったのであろうか。ガラス細工の恋は何処に消えたのか・・と青春のマドンナを探した後では難問であった。
  確かなことは、人生は曲り角でこうした質問を繰りかえしながら歩くということ。そして、この質問に答えることで自分の未来を切り開くということだ。
  会場は華やかさで埋まっていた。紛れもなく、参加者全員が訪れた「再びの青春」に酔っていた。饒舌と沈黙がそこにはあった。再会の喜びは声を一オクターブも高くし、それを果たせなかった人への想いは沈黙を強いた。少しだけでも立ち止まること、立ち止まって考えること、それが同窓会に参加することの出来た幸運な人の特権であった。残念ながらもう決して逢うことの叶わぬ人も居るのだから・・・。
  時間は50年の空白を埋めるにはあまりにも少なかった。別れは学校時代のようにあっさりとしたものであった。無事に再会を果たせたのだから、きっと次も、直ぐにでも、逢えるという錯覚に囚われていた。友はあっさりと手を振って闇に消えて行った。再びの青春をしっかりと抱きしめながら・・・。
  深夜、興奮で眠れぬままに「青春はしたたかに酔うもの」との思いを強くし、芭蕉の「行く春に和歌の浦にて追いつきたり(和歌山市和歌浦中3−4−26あしべ旅館跡に句碑)を真似て「逝く春を和歌の浦にて見つけたり」とメモに書き付けた。眠りは浅く、夢を見た。夢は長年親しんできたS・ウルマンの詩を連れて来た。


「青春」詩碑紀行−埼玉県蕨市:2005.03−
 暖かくなったと思ったのに、今日はまた冬に逆戻り。そう言えば、奈良の
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