ここを見なければ足摺岬は書けなかったろうと想像をしながら、無人の浜辺に「さらば夏の強き光よ」とボードレーヌの詩句を置いた。「マロウド」何処かで耳にした単語だが思い出せない。マロウド、マロウドと呪文の様に唱えながら恐ろしい急階段をよじ登った。帰宅して思い出した。マロウドは軽井沢にある素敵なホテルの名前たった。後日、「まろうど」とは「客人」「稀人」の意であると教えられたのを契機に記念の詩−巻末に掲載−を書いた。
初めて見る奇岩群が海岸に広がる。自然の造型の見事さはスケールが大きすぎ写真には納まらない。海中の珊瑚礁も台風の余波が覆い隠していた。収穫は二つのいしぶみで、出会ったのはお遍路の老夫妻だけであった。 「貝殻は私の生きていたあかし私が生きていなかったら私の貝殻があるわけは ない」(武者小路実篤)「龍串は奇岩並めて春の潮」(高浜年尾) (竜串奇岩・叶崎燈台・宿毛小学校北見歌碑・野中兼山と婉歌碑)−青字はクリック拡大− 宿毛市への海岸道路を更に進むと叶岬。ここも燈台のある小さな岬の景勝地であった。吉井勇歌碑(土佐ぶみにまずしるすらくこの日われ うれしきかもよ叶崎見つ)があるので立ち寄って見たら、野口雨情詩碑(叶崎で波音聞いた・・・)まで出迎えてくれた。「おやつ、おやつ」連発してドライブを続けたが、「おやつ」は見付からぬまま宿毛市に入った。 最果ての地で−宿毛市− 高知県の西の果ての宿毛市に足を運ばせたのは紀行直前の情報であった。「橋田東声の最初の妻は有名な歌曲「平城山」の作詞者で歌人・北見志保子。宿毛市出身」と知れば通り過ぎるわけには行かない。この寄り道が結果的には素晴しいお土産をくれた。 宿毛市市街の北の隅に市役所に並んで宿毛小学校。そこが北見志保子生誕地であった。校舎の奥に小さな記念碑、校舎の横手に歌碑が建っていた。 「山川よ野よあたたかきふるさとよ こえあげて泣かむ長かりしかな」 彼女の波乱万丈の生涯を偲ぶ縁となる歌碑は心に残った。
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