更に時代を遡るために南国市に向う。中心地から北に3km程走ると西国29番札所・国分寺の森が見えてきた。豪壮な山門の中は静寂が漂い、萩や桔梗の参道の向うに萱葺きの本堂が天平時代の姿で佇んでいた。この寺が土佐の国分寺として天平11年(739)に開基した寺と聞けば境内の空気が重いのはあながち雨の所為ではなさそう。お遍路さんが唱える「般若心経」に合わせて旅の平安を祈る。境内右手、光明殿の苔むした庭にそっと忍び込む。小雨に濡れた碑石、流れる文字、取り囲む静寂・・・と三基の碑が最高の出来映えで迎えてくれた。 「お遍路の 静かに去って 行く桜」(高浜年尾) 「来し方を 行く方を 草朧かな」(木晴子) 「国分寺の薬師如来は千年の ゑまひゆたかにたたせたまへり」(朝吹磯子) 国分寺の北、1kmほどの所に土佐の国衙(奈良から平安期)の跡と紀貫之邸跡がある。今は田圃の真中で往時を偲ぶものは何もなく、500坪ほどの園地に記念碑や歌碑・句碑が散らばるだけ。園地は「古今集の庭」として整備され古今集ゆかりの花や樹木で飾られ、疎水は曲水の流れを演出していた。往時の賑わいは空に消えたが遠来の客を静に迎える心意気は残っていた。緑鮮やかな芝生と黄色い女郎花の花の端に虚子の句碑が雨に濡れていた。虚子の流麗な筆で浮かび上がる「土佐日記懐にあり散る櫻」とまでは行かなかったが小雨まで優しい散歩であった。
古の土佐・南国市から現代の土佐・高知市へ向う。浦戸大橋で浦戸湾を一跨ぎすると名勝・桂浜に着く。 「海底に 珊瑚の花咲く 鯊-はぜ-を釣る」(高浜虚子) 「大土佐の海を見むとてうつらうつら 桂の浜にわれは来にけり」(吉井勇) など数基の碑を小雨の中で巡る。天気が悪くても、夕刻が近づいてはいても、さすがにここは賑わっていた。小山に登り、太平洋を見下ろす坂本竜馬の巨大な銅像を見上げ、桂浜に降りた。竜頭岬と竜王岬に抱えられた300mほどの白砂の海岸である。台風の大波が押し寄せる波打際に遊ぶ恋人?たち。名勝と呼ばれるが只の海岸としか思えない。矢張り名勝たるには「仲秋の名月」と「土佐の銘酒」が欠かせなかった。早々に引き上げ高知駅前のホテルに駆け込んだ。 上林暁のふるさとを訪ねて−土佐入野− 高知駅発の「しまんと一号」。空席の目立つ特急列車は定刻に滑り出した。須崎市は順調に走り抜けたが、その先の山中の小さな「影野駅」で列車は急に停まった。「豪雨のため一時停車します。開通までしばらく時間がかかります」とのアナウンス。車窓を大粒の雨が叩く。10分、20分・・。一向に動き出す気配はない。 P.01へ −P.02− P.03へ |