私を魅了した掃苔録を片手に、京急・金沢八景駅からタクシーを飛ばした。 京急・逗子線に沿って逗子街道が池子の山に延びる。横浜と逗子をわける峠のトンネルの手前に新しい霊園が出来ていた。銀杏が整然と並ぶ坂を登った. 「歌人の安藤美保さんのお墓にお参りしたいのですが。場所を教えていただけませんか」 「横の階段を登ってください。9区−J−11番です。ご苦労様です」 最悪は持ってきた写真を頼りに探しまくる他ないと覚悟をしてきただけに、優しく親切な管理人の案内にほっとする。 先人が歩いた「冬風の上ってくる坂道」は「初夏の陽射しの坂道」で眩しい。霊園の中央付近に目指す墓碑を発見。簡素な墓碑に手を合わせた。 「貴女には紫陽花が似合います。シーパラダイスの紫陽花は満開でしたよ」 見てきた紫陽花をそっと差し出し、早速、歌碑に取り掛かる。 「緻密に緻密かさねて論はつくられぬ 崩されたくなく眼をつむりおり 1991.7.18詠」 墓碑裏の命日に照らすと運命の日の一ヶ月前の作品だ。 歌には「若さと繊細さ」が溢れていて死が直ぐ其処に迫っている気配は全くない。何が何だか解らないまま彼女は消えたのだ。青春の真只中で、唐突に。 ほんの少しだけ読んだ安藤美保の短歌は、碑の歌同様に、青春の視線の中にガラスのような感性が光っていた。日常のわずかな波紋に目を光らせる。その揺らぎを静かにそっと捉える。多くのファンはそこに惹かれるのではないだろうか。 粗雑な時間に囲まれる日々に、みずみずしい感性に触れ、吾が青春をフラッシュバックさせながら、ひと時を墓前で過した。 帰る前に、夭折した詩人に宛てた三好達治の追悼詩を紫陽花の脇に置いた。安藤美保と同様に彗星の如く、輝き、素早く消えた金子みすゞを訪ねた時にも捧げた詩であった。 「人が詩人として生涯を終るためには/君のやうに聡明に純粋に/純潔に生きなければならなかった/さうして君のやうにまた/早く死ななければ!」 初夏の陽射しが焼いた体が冷えてきたのは、残された者の想いの所為だろうか。 歌人・俵万智は、安藤美保の代表作「君の眼に見られいるとき私はこまかき水の粒子に還る」について、「身を焦がすような恋を彼女が得たら、どんな歌が生まれただろうと思わずにはいられない。見つめられただけで、こんな素敵な歌が出来たのだから」と評した。 「唐突に命を断ち切られた安藤美保さん。青い水玉の紫陽花がどんな風に変化して行くことになるのでしょうか。貴女の七変化を拝見できなかったのはとても残念でなりません」と今一度手を合わせて墓前を後にした。 坂道の向うに「横浜・横須賀道路」が見えた。 「親友のお墓からも見えた横浜・横須賀道路」「山村暮鳥を語り合った友」「伊香保の暮鳥詩碑の詩句」「また蜩のなく頃となった かなかな かなかな どこかに いい国があるんだ」・・と想いは次々と飛んだ。霊園を取り巻く林の中に「かなかな」の声を聴こうと耳を澄ました。 季節は蜩には早すぎたのだろうか、「いい国のありか」は教えてもらえなかった。 「人間、誰しも、生まれた時を知らないと同じように、死ぬ時も知らないのだね」「そちらの国の居心地はどう かな。こちらでは、今年も紫陽花は綺麗に咲きました。でも"不安だけ妙に的中する老後"という落首が評判を呼ぶ世相です」と逝いた友に今年の紫陽花を送ることにした。 (2006.06.25記) P.02へ戻る −P.03完− トップページに戻る |