弟・正祐は幼くして、文英堂店主上山松蔵に養子に貰われて行ったので、みすゞが実の姉であることを知らずに恋心を抱く。危機を察知した店主夫妻は強引にみすずに結婚を迫った。大正15年、番頭の宮本啓喜と気の進まぬままに結婚、不幸な日々が始る。夫の遊蕩に悩みながら、通勤途上の唐戸市場(現:唐戸銀天街.詩碑「日の光」)で買物、亀山八幡宮(詩碑「夏越まつり」)参詣も欠かさない日々を送る。長女「ふさえ」を授かり、不本意な生活を送りながらも詩作を続行。中央詩壇での評価は益々上り、全国の若い投稿詩人の憧れの星となる。下関駅(現:細江駐車場)で講演旅行中の西條八十と短いひと時を過し激励を受けるも、夫にうつされた病気が原因で体調を崩す。更に、夫より詩作を禁じられ絶望が忍び寄る。 
強く希望した離婚が成立し、愛娘との新生活を始めるが、病状が悪化し自裁を決意。昭和5年3月9日、亀山八幡宮前の三好写真館(現在空地.詩碑「鶴」)で遺影を撮る。翌、3月10日上山文英堂本店の一室で自殺。26歳の短い生涯を閉じた。
枕元には弟・正祐と恩師西條八十宛に遺稿として遺した自作詩集があったという。
       
傘もさせない強風雨だが、「折角ここまで来たのだから」とみすずの足跡を辿ることにした。唐戸魚市場横の詩碑「私と小鳥とすずと」から、国道を横切って、亀山八幡宮の石段を駈け登る。境内のみすず詩碑、林芙美子文学碑(碑文「花の命は短くて」)、飯尾宗祇句碑を探して、早足で唐戸銀天街へ。アーケードで一息ついて、「日の光」詩碑を撮影。ここからは休憩する場所とてないが足が勝手に動いた。風と風の合間に傘を広げるが、直ぐに、お猪口になり、余裕は風雨に翻弄される。田中町の文英堂支店跡、直ぐ近くの「林芙美子生誕地碑」(異説あり。門司小森江浄水場にも記念碑)、二十歳の記念写真を撮った黒田写真館跡、寿公園の「はちと神さま」詩碑、終焉の地・・・と駈け抜けました。

    (写真:旧下関駅茂吉歌碑.同山頭火句碑.みもすそ川公園清張文学碑.亀山八幡林芙美子文学碑)
愛する詩人・立原道造の葬儀も雨の中であったことが思い浮かび、三好達治の追悼詩「暮春嘆息」とみすゞの短い生涯とを重ね合わせていました。
人が
詩人として生涯をおわるためには/君のやうに聡明に純粋に/純潔に生きなければならなかった/さうして君のやうにまた/早く死ななければ
服はびっしょりと重たく、靴には水が染込んでいました。唐戸銀天街のアーケードに再び避難し、喫茶店に飛び込み「ホットコーヒーと暖房」を注文。店主が「ストーブを入れましょう」と慰めてくれました。ただ闇雲に写真を撮るだけの悲惨な2時間でした。
 P.04へ                  − P.05−                  P.06へ