「みすゞ通り」の其処ここには詩に縁の石標、案内パネル、家々の軒先には例外なくみすずの詩を書きとめた板切れが飾ってありました。手書きの個性溢れる「詩の板」を眺めながらの詩の国の散歩を楽しみ出発点に戻ると、広場の「みすゞ時計」は14時を過ぎていました。
ノアの方舟はみすず一色。これほどまで大切にされている詩人は知りません。みすずの不幸な生涯は見事に変身して「幸せ」に変っている・・・とこちらまで嬉しくなる散歩でした。
     
    (写真:王子山公園「王子山」シーサイド「大漁」みすゞ記念館・民家軒先の詩の木札)左二枚クリック拡大
仙崎から下関へ。途中、44年振りに秋吉台に立ち寄りました。鍾乳石は45年の歳月でたった45mm成長しただけでした。私の時計が役に立たない別世界の洞窟探検を終え、カルスト台地を縦横に車を走らせ奇観を楽しんで参りましたが、曇った空の下では流石の天下の名勝も寂しげで、満開の染井吉野も薄墨桜の様相でしたよ。
下関に着き、天気予報を見ると「雨」のマーク。がっかりしながら眠りにつきました。
晴れやかな気分の仙崎だったからしょうか、夢の中のみすずも優しく微笑んでいました。

いしぶみ紀行は暴風雨
車の音で目を覚ます。窓のカーテンをあけると、ホテル隣の「下関市場」に向う車のライトが雨を映していました。コーヒーを飲み、今日の行程を組み直し、夜明けを待ちました。
関門トンネルの開通後、下関駅は移転して跡地は市営細江駐車場。ここはみすゞが恩師・西條八十と束の間の面会した場所で、斎藤茂吉歌碑・種田山頭火句碑もある。嘗ての海峡連絡船発着所ゆえ、当然、海辺。直ぐに碑を見つけたが車のドアーは強風で開かない。せめて写真だけでも・・と慎重にこじ開け、エイヤッと鉄砲玉のように飛び出しました。でも、たった数分でずぶ濡れになって車へ。車を進めると、碑らしき石に「吉井勇」の文字。新発見だ!とまた飛び出し、更に進むと、「若山牧水」の文字。新発見が続きましたが碑文の鑑賞をしている余裕のない中で、下関紀行は幕を開けました。

年譜と地図とをにらめっこしながら作った「みすゞワールド」から足跡を記して置きます。              
大正12年、20歳。母の嫁ぎ先(再婚)である下関市南部町の書店「上山文英堂」(現:明治生命ビル.詩碑「みんなを好きに」)に移り住む。憧れの都会で働き始めた記念に近くの黒川写真館(現:村田写真館「山の子浜の子」詩碑)で記念写真を撮影。仕事場は隣の田中町にあった文英堂支店(現:もみじ銀行.詩碑「キネマの街」)。店番の傍ら詩作に没頭、多くの傑作を中央の雑誌「童話」「金の星」等に発表。実母、実弟・正祐との三人の幸せな日々は短かった。
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