いしぶみ紀行・童謡詩人・金子みすず(長門市仙崎・下関市)

T・N兄
ご無沙汰いたして居りますが、お元気でしょうか。
何時も美しい南国の町の風景をホームページで拝見しては心休ませています。
今日は私が彷徨った「みすゞワールド」をご報告させていただきたくペンを執りました。
「晴・曇・強風雨」と三様の日々はみすずの波乱に満ちた生涯に似たいしぶみ紀行でした。

眠る萩も桜花に少し目覚めて
入念に作った三枚の訪碑地図−萩・仙崎・下関−を片手に福岡空港に降り、ここから南へ走ると久し振りに貴兄にお目にかかれると思いながらも、逆方向に車を向けました。
海峡から立ち上がった絶壁の上の門司・和布刈PAは桜が満開、源平の武将達を悩ませた関門の早い潮の流れも春霞に包まれて穏やかに見えましたよ。 中国自動車道を山桜のぼんぼりに誘導されながら、笑っている中国山脈を切り裂いて走り、維新の若者が駆け抜けた萩往還から萩へ。
明治維新の原動力となった若人を生み出し、常に政局の中心であった萩ですが明治の中期からは眠りに入り、それ以来ずっと、目が覚めていない様子でした。 指月城址、木戸孝允・高杉晋作旧居、松陰神社、松陰墓地・・・と司馬遼太郎の描いた世界で半日を過しました。「崩れかけた築地」「疎水の細道」「白い土塀から覗く夏みかん」を巡る散歩は桜色に染まるひと時でした。
関が原の戦いに敗れ、封じ込められ、暴発し、革命を成し遂げた・・・毛利の武士たちを巡る旅は明治維新原点への旅で、「若さ」の持つ厖大なエネルギーが「志」を抱くと、途方もないことを成し遂げるのだ・・・と考えさせられる時間でした。はしゃぐ観光客を眺めながら、「初雪や明治は遠くなりにけり」の句を突然思い出したりしましたよ。
今日は「金子みすずの旅」ですから、詳しくは別の機会にして先を急ぎましょう。

みすずの故郷は詩集の中の町
萩から日本海に沿って、西へ、30kmほど走った所に長門市があります。地図では長門市の北端に「海上アルプス」で有名な青海島を載せて、仙崎という小さな半島が日本海に突き出しています。江戸時代から明治時代初期までは、高知の津呂、和歌山の太地などとともに、日本で有数の捕鯨基地でしたが、今は石の堤防で武装した「ノアの方舟」のように横たわっています。ここが金子みすずの故郷です。
金子みすず?ご存じないかも知れませんね。ご紹介しましょう。
         
本名金子テル。明治36年大津郡仙崎村(現長門市仙崎)に生まれる。兄と弟の三人兄弟。三才の時に父を喪う。母は下関・上山文英堂書店の仙崎支店を開業。17歳で大津高女を首席で卒業後、20歳で下関に出て文英堂で働きながら詩作。26歳で自ら命を絶つまで、日本の童謡の隆盛期に90編の詩を発表。詩人・西條八十に"若き童謡詩人の中の巨星"とまで称賛されましれた。仙崎にある「金子みすゞ記念館」の案内にはこう書かれています。
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