突然病の床に縛り付けられた親友を見舞った時、「人間を50年も、60年もやっていれば、部品は故障するものだよ。よく今迄、補修もしないで働いてくれたよね」と慰めた。 現代のどんなに進歩した技術を用いても、休みなく働く部品を補修なしで動かすことは不可能である。
   必ず、予期せぬ訪問客に驚かされます。
   「茜色の坂」の主人公は脳腫瘍の告知を受けて「現実から遊離した白日夢の中をさまよっているような気分であった。彼の生死に拘らず世の中は今日から明日へと淀みなく生活の流れを続けてゆく。・・・このことがこの上もなく理不尽に修介には思われた」と語っているように「何故自分だけが」と最初に思う。そして「投げやりになる」「どうでも良くなる」と続き、やがて「戦う」と変って行く。そして、最後に「死について思い患うのは、せんじつめれば、死を怖れているからであろうが、怖れてはいけないのだ。それは生とおなじく、ごく普遍的な自然の営為なのである。怖れずに心をひらいて、枯葉が枝を離れるように、素直に迎え入れるべきであろう。なにかに縋ることも、祈ることも要らない。ただ、自然のままに身をまかせるだけだ」と諦念・悟りの段階に至る過程が描かれている。
   更に、「西欧人は生きる座標軸として、神への信仰を持っている。それが、こういう場合には彼らを支える力となり、理性喪失の寸前で、踏みとどまることも可能なのであろう。死という無明の闇も、神に縋ることによって、いくらかは薄められもするかもしれない。しかし、日本人にはもともと、生の基盤に、神という概念は存在しないのだから、どうしようもない。無明の闇は無明のままなのだ・・・。」「死が真っ暗な底無しのトンネルの中へ堕ち込んでゆくようなものだとすると、人は誰しも、落ちてゆくトンネルの底に、ほんの幽かな仄明かりでもいいから、射してほしいと願わずにはいられませんでしょう。キリスト教ふうに言えば、救いってことでしょうか」と死を前にした心境が続いています。
    「肉体が極端に衰えているときは死にさえ投げやりな気分にさせられる。少なくとも大袈裟な覚悟など必要としない。望まないまでも、どうでもいいのである。悲痛とか悲愴とかいう概念からは遠く、むしろ懶惰である」と船山馨は語っています。
   これから先、死を前にした時にどの様な感興が生まれてくるか予想し難いことですが、覚悟の手術を経験した時の気分には船山馨の言う「懶惰(らいだ・どうでもいい気分)」も交じっていたし、百歳を迎えた父の姿もそんな風に見える時があります。
   兎にも角にも、幾つかの大病の経験から学んだことは、病気と付き合うには二つの姿勢が重要のようです。一つは「自然に任せる」(病気との共棲)こと、一つは「生きたいと戦うこと」(芭蕉の"旅に病みながら儚い夢を追う"姿勢)であると思います。要は、「任せる」「闘う」という二つを上手く使い分けることが出来れば最高なのですが・・・。
   余談ですが、芭蕉の句碑は全国に3000基以上散らばっています。その数は他の文学者の追従を許していません。俳句の上手さだけでは説明できる数ではありません。きっと、彼の人生そのものが私達を惹き付けるのでしょうね。小生も句碑を訪ねる度に、「現にあるものだけには満足せず、心の中に最後まではかない幻を追う人として、常に旅先にあり、清々しく洗われた瞳で人生を見ている人として芭蕉をあげるまでもなく、孤独の旅人はどのような苦しい流浪の果てにあろうとも、常に暖かい魂に持主である」と好きな作家・福永武彦の言葉を思い出して居ます。


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