落日・夕焼の秘密−人は何故夕焼けに惹かれるのか−
    「夕焼」のいしぶみを訪ねながら、その秘密を探り、学びました。
   宇佐美斉に「落日論」という見事な評論があります。その最初の部分には「落日はひとつの状態の持続が突如として終焉を迎え、その結果、世界が新たな秩序へと急変しようとする刹那の、美しい象徴である」と記されています。そして、古今、東西を問わず、この美しい象徴を多くの文学者が作品に残したことが紹介されて行きます。 夕焼の空を眺めていると、心の奥深く埋め込まれている何かが鳴り出すのが聞えてくるからでしょう。
   昇る太陽はこれから始まる未来の一方向だけを照らし出しますが、落日の光線は過去と未来の二方向に広がります。逝いた時たちが郷愁を誘い、過去へ旅立たせ、茜色に染まる空は未来への旅を誘います。そこは様々な時が交差するひと時なのです。
   大人も子供も茜色に染まる空に様々な想いを描きます。歳を重ねるにつれて、そこに日常の世界から永遠の時への願いを込めることが多くなるようです。夕焼けの刹那に凝縮される想いには宗教的な観念と共通のものが秘められているに違いないのですが、小生には宗教について語ることは出来ません。宇佐美斉「落日論」からご紹介しましょう。
   「古代インドに芽生えた西方極楽浄土の思想は"落日の観照"というインダス文明以来の古い民間信仰を何らかの形で受け継いでいる。また同じ太陽崇拝の民族であったエジプト人は、同様の"西方の楽園"思想を抱懐するに至った。更にギリシャ神話にも"西方楽園"の思想があり、三者共に"西方は死者の赴くところ"である」と落日の思想史を語っています。
   更に、日本人については「島国の住民にとって、日輪のくるめき入る海の彼方への憧憬と畏怖。・・・日没の観照と西方浄土への思いが、宗教という形をとって深く結びつくのは、言うまでもなく、「観無量寿経」の説く極楽浄土(西方へ十万億仏国土)に至るために広く流布された」と話が続きます。
   西に沈んだ太陽は、東に旅し、朝になって再び姿を現し、また、夕べを迎えて西に帰る。このような死と再生の象徴である太陽の軌跡が、古代より、洋の東西を問わず、人間の夢と願望のありかを鮮やかに示すものといって良いのではないでしょうか。
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