千光寺本堂の直下に「画家・平山郁夫がスケッチした場所」との案内板。成程、ここには尾道を代表する景色があった。五重塔の向うに尾道大橋が向島に伸びている。二つの建造物に挟まれた尾道水道は窮屈そうであった。
そこから伸びる路地入口には「中村憲吉終焉の家」記念碑。碑に案内されて路地を進むとアララギ派の代表歌人の旧居(昭和9年この寓居で46歳の生涯を閉じた)が保存されていた。路地の両側にはお目当ての歌碑「千光寺に夜もすがらなる時の鐘 耳にまぢかく寝ねがてにける」の歌碑、そしてそれ以外に5基もの歌碑が尾道市制施行百年記念に建てられていた。
汗をかきながら、寄り道を繰り返して、山の中腹の千光寺に辿り着く。志賀直哉が描き、中村憲吉が詠んだこの寺の鐘は昨今では大晦日の除夜の鐘としてTVによく登場する。眼下に広がる街並みと海はキツイ登りをこなしてきた誰しもが「頑張って良かった」と叫ぶ光景であった。
一服する隙も惜しんで、寺の裏山に広がる「文学の小径」に足を伸ばす。本堂から頂上の千光寺公園に至る小径の両側に25基もの文学碑群が並ぶ。この町を訪れた文人墨客が残した作品が花崗岩の奇岩巨石に刻まれて点在する。松林の小径を海の匂いを嗅ぎながら正岡子規「のどかさや小山つづきに塔二つ」、志賀直哉「六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく・・・(小説「暗夜行路」一節)」などの碑を辿った。時々顔撫でる海からの風と降り注ぐ軟らかい木漏れ日が心地よかった。
平成の因島巡りは高速道路で
因島市の案内書には「瀬戸内海のほぼ中央に位置し、四季おりおりの風物は、紺碧の海にとけ合い、遙かに望む四国連山、無数に点在する島々の眺めは素晴しく、瀬戸内海を代表する景観」とあって期待が膨らんだ。
尾道から四国・今治まで伸びる「しまなみ街道」は遥か島の上空を飛ぶように走る街道で期待に違わなかった。この街道がなければフェリーでの船旅。村上水軍の本拠地・因島は簡単に行ける島ではなかったが、今では尾道から1時間も掛からない。
バスの終点は因島・土生港。バス停近くの食堂で太刀魚の刺身に満足し、タクシーを頼んだ。海から急勾配で立ち上がる天狗山の因島公園にある文学碑群へは歩いて15分と食堂の主は言ったが、急坂に恐れをなして車を選んだ。坂道の途中で林芙美子文学碑「遠い潮鳴の音を聞いたか 何千と群れた人の声を聞いたか・・・」を見つけた。
山の中腹に巨大な弘法大師の立像(鯖大師)と国民宿舎。迎えの車を予約して、標高200mの頂上までの登山道に分け入った。「つれしおの石ぶみ」と名付けられた登山道には19基の文学碑が散らばっていた。「しまなみ街道」が出来てから観光客目当てに整備したらしいが酔狂な観光客はめったにない様子。志賀直哉(「船は島と島の間を縫って進んだ・・・(小説「暗夜行路」一節)」)、司馬遼太郎が小説「竜馬が行く」執筆中に訪れた時の言葉(「一眼あり 海上王国」)、三好達治、林芙美子、高見順・・・と錚々たる人の文学碑・詩碑があるのを知って是非とも見ておきたかった。
山道に散在する文学碑の探索は登りの道が続いた。絵葉書のように美しい瀬戸内海の風景を借景にして、自然の岩に掘り込んだ文学碑の群が登り続ける気力と体力を恵んでくれた。
時々、立ち止まっては、この山で作詩したという縁で建てられた高見順詩碑にある詩句を復唱した。
「どの辺から天であるか 鳶の飛んでいる辺は天であるか 人の眼から隠れて ここに
静に熟れて行く果実がある おお その果実の周囲は すでに天に属している」
−P.08−