尾道東高校は林芙美子の母校・尾道高女の後身である。下校前の清掃に余念の無い生徒達で賑やかな玄関前の植込に芙美子の文学碑があった。「巷に来れば憩いあり 人間みな吾を慰めて 煩悩滅除を歌ふなり」とある碑面の一節はどう解釈しようかと首を傾げながら、駅に戻った。
   車の上に広がる街並みを見ていると運転手は「観光の人は無邪気に登って行くが、ここに生活する人々は大変なのですよ」と市民の苦労を事細かく教えてくれた。
   尾道の繁華街の入口には如何にも観光客目当てに作られたような林芙美子文学碑。大きな台石の上の芙美子の像は居心地悪そうであった。「海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海にさしかかると煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がってくる。赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ。緑色の海の向こうにドックの赤い船が帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた」とこの町を紹介する時に何時も引用される小説「放浪記」一節が彫られた石が添えられていた。
   芙美子の旧居は直ぐ近くの喫茶店の裏の離れとか。喫茶店には「都合により閉店」の札。昨年当地を訪れた友人は旧居の部屋を見学させてもらえた・・と話していたのに一足違いで残念であった。何かないかと「うずしお小路」の細道を海に抜けた。浜側に路地入口には「林芙美子旧居碑」の記念碑が窮屈そうに建っていた。「これでいいのだ。芙美子にはこれが似合う」と満足して引揚げた。
   翌朝、汽笛の音で目を覚ました。時計は未だ4時だったが、直下を通る山陽本線の列車の音を聞きながら旅のメモを書いた。何時もの事ながら旅に出た気分が満ちてきた。
   旅の最終日の午前中は千光寺と「文学の小径」を中心に歩いた。大学時代以来、40年近く留守をしていた道であった。
   狭い石段の坂道を登った。「文学の小径」と名前まで付けられて整備された道は生活道路から観光道路に変わっていた。志賀直哉旧宅も「暗夜行路」記念碑も立派になりすぎいた。如何にも若き文学者のおんぼろ下宿の面影は消えて文豪の部屋に変身していた。直下には「文学碑公園」という小公園まで出来ていた。公園では「香の高い柑橘類 燃えるような丹椿 濃く暖かい湖の色 海べの砂州と嶋々の浦は尾道の自然は歌の材料にみちみちていた 少女の追憶は歌の思い出と絡み合って 私の思春期の絵本を美しくしているのである」と小説「光り合ういのち」の一節を刻んだ簡素な倉田百三文学碑が尾道を再訪した気分を代弁してくれた。
   迷路の細道を更に辿ると「文学記念室」。尾道に縁の文学者達の記念館である。開館前であったが勝手に庭に入って林芙美子「放浪記」・高垣眸「怪傑黒頭巾」・横山美智子「緑の地平線」などの文学碑を見学させてもらった。

                    (写真:林芙美子文学碑:志賀直哉旧居:中村憲吉旧居前歌碑)
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