漸く見つけた興奮を冷ましながら、小田急の経堂駅まで世田谷の曲がりくねった道を歩いた。迷いながらも農大に辿り着く。ここを卒業し、和歌山の山奥で林業の仕事を黙々と続ける甥に贈ろうと、秋の農大風景を写真に収めて、経堂に急ぐ。早く懐かしい風景に逢いたくて、早足に、小雨なのにコートをひどく濡らしながら。
   経堂駅南口。大勢に人に支えられながら一ヶ月以上も入院した「早川病院」を探す。名前は「早川クリニック」と現代風に変わっていたし、改築されてはいたものの、すぐに、昔の建物が甦ってきた。お世話になった人々に思いを馳せ、「ありがとう」と呟く。
    40年前に通いなれた「経堂駅」は高架の駅になり、すっかり様相を変えていた。南側の「農大通り」には相変わらず学生街の野暮ったさが残っていた。駅北側には独身寮に続く「すずらん通り商店街」が健在。これはもしかすると懐かしい風景に出会えるかと期待が膨らむ。
   一軒一軒確認しながら、化石を探して歩く。だが何も見つからない。暫らくは、時の残酷さを感じながら歩いたが、ふと、「人間の眼は関心のある事しか見ないのだ。見えないのだ」との言葉が浮かぶ。そうだ、あの時代の小遣いの総ては本代に消えたのだと思い出しながら、先に進む。
    せめてここだけはと思っていた店は、願いが叶った。通いなれた「古書・遠藤書店」は元の場所に改築されて残っていた。引き込まれるように入る。書棚を丹念に辿る。漫画やアイドル本ばかりが威張り、並んだ本たちの顔ぶれは時代を映していた。散歩の記念に「宮澤賢治文学アルバム」を求める。
「割引券です」
店主がチケットを差し出す。 なになに、古本屋さんが割引券・・・と時代の変化を感じた。
「40年ほど前には色々とお世話になりました。戴いた本はまだ本箱に並んでいます。でも、もうお寄りすることはないでしょうから・・・」
   店を出た。40年の歳月が育んだ「懐かしさ」が一気に噴き出した。
   目指す海音寺潮五郎記念館は「すずらん通り」の裏手の閑静な住宅街の一角。非公開であることを知らずに訪れたのは無謀だった。案内を請うと
「私邸なので、予約していただいた方にのみご覧戴いています」
「横浜から参りました。お庭の文学碑だけでも拝見できないでしょうか」
小雨と老いの厚かましさが重い扉をこじあけてくれた。気品に溢れた老女が顔を出す。
「こちらへ どうぞ」
20畳近い大きな部屋。遺品を飾ったケースが年代物の応接セットを取り巻いていた。遺品の数々に眼を通しながら、数年前に鹿児島を旅し、海音寺文学碑を三箇所訪れた話をする頃には、不意の闖入者に先方も警戒心を解いたようであった。
「昨今は無用心なので失礼しました。狭い庭ですがご覧下さい」
大きなガラス窓を開け、庭下駄を揃えて呉れた。敷地は100坪を越える大邸宅。広い庭は秋の草花で埋まり、庭の隅に白御影石が霧雨に濡れていた。斜め置きの碑面には
「吾庭に小鳥つどへり・・・」で始まる随想「庭」の一節が見事な筆跡で刻まれていた。
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