いしぶみ紀行(東京・世田谷)−2003−2004−  
   誰にでも、もう一度、訪れて見たい場所がある。そこには密かに埋めた化石がある。 老いの季節は記憶の螺旋階段をゆっくりと降り、埋めた化石を掘出してみたくなる季節。拾った化石に、考古学者は人類の記憶を探り、私は青春の記憶を探る。或る時は小春日和の階段を、また或る時は冷たい霧雨に濡れた階段を一歩一歩確かめるように降りた。この紀行は40年近い歳月を経て、同じ道を歩いた感傷散歩であった。

−1962年.夏−渋谷・三軒茶屋・梅ヶ丘−

   ある土曜日の午後、独身寮隣室の四ツ谷君と誘い合わせて恒例の散歩に出た。東京駅南口から経堂駅行のバスに乗り、渋谷の青山学院の前で下車した。近代文学の書籍が揃っている「古書・中村書店」を覗く。棚の上部からは「萩原朔太郎全集」が見下ろしていたが、到底、手が届かない。鮮やかな黄色と黒の表紙の萩原朔太郎「虚妄の正義」を買い求めた。
    「おいおい また朔太郎かい」とひやかされながら、いそいそと坂を下って、プラネタリウムで賑わう東急文化会館の「ユーハイム」でバームクーヘンを齧った。 強い日差しが狭い喫茶室に溢れていた。ソ連宇宙船が地球一周に成功したというのに、私達には朔太郎と同じようにフランスは遠かった。国内でさえ貧乏旅行が精一杯であった。それでも、太平洋ヨット横断成功の堀江謙一や小田実の「何でもみてやろう」の精神に学ぼうではないかと、未だ見ぬフランスやギリシャ・ローマなどお互いの憧れを熱く語った。 渋谷の街には、「上を向いて歩こう」や「いつでも夢を」の永六輔・中村八大コンビの曲が流れていた。歌謡曲が幸せだった時代で、懐の淋しい若者たちの歌声が溢れていた。
    足を伸ばして、三軒茶屋の「古書・三茶書房」に立ち寄り、書棚をなめるように漁る。本日は収穫無し。四ツ谷君は古代文明の本を探し当て、にっこり。 三軒茶屋から豪徳寺までの玉電・世田谷線は家々の軒を掠めるように走った。 梅ヶ丘の「古書・麦書房」に立ち寄る。この春永眠した室生犀星の詩集が目に飛び込んできた。買うには財布は軽すぎた。互いに収穫を大事に抱えて寮に急いだ、早くページを開こうと。

−2003年.晩秋−渋谷・三軒茶屋・梅ヶ丘−
    イラクに派遣される自衛隊の若者たちの顔、春に緑友会で出会った懐かしい顔、そして年の初めに逝った親友四ツ谷君の顔、そんな顔たちが世田谷に化石探しを誘った。
   若者たちの町・渋谷は相変わらずの賑わいであった。が、「荒涼たる時代」を映してか、熱気よりも孤独や倦怠が支配しているように思えた。宮益坂上には、今も、中村書店は健在だが、東急文化会館のユーハイムは、つい最近、長い歴史を閉じた。渋谷発の玉電は地下鉄に変っていた。その地下鉄に乗り三軒茶屋で降りた。駅付近は首都高速道路が三叉路に覆いかぶさり、昼間から暗い。キョロキョロ辺りを見回すが往時の面影は全く無い。「古書・三茶書房」は神田へと出世していた。
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