「ここでは、次々に変るキャンバスに勝手に題名を付けて楽しめばいいのですね」と決めた。
「モネの積み藁」「花の滑走路」「天使の空港」「花の絨毯」「大家族の遠足」「妖精達の遊び場」と何処も彼処も写真になる風景が無造作に転がっていた。
「お客さん。美瑛では決して連作しないので来年くるとパッチワークは模様替えしていますよ」
「とすると僕の名作?は、来年には、見ることが出来ないの」とがっかり。
「そんなことはありません。光線の具合が変っただけと思えばいいのです」と印象派並の返事に安心。
「じゃがいもの花は白い花、と思っていたのに、ピンクも紫もあるのですね」と不思議そうに尋ねる。
「種類によって色が違います。今は、どの花も一番綺麗な季節です」と何度も「花の滑走路」の端に車を寄せてくれる。
地元の運転手でなければ迷い込むこと必定の迷路。登ったり、降りたり、曲がりくねったり。方向感覚を失うが、時々姿を現す残雪の十勝連峰だけが唯一の標識。道を逸れて、それが眼前に横たわる畑に入る。
「ここが、観光バスの来ない美瑛の最高のポイントです」自慢するだけの迫力ある画面が立っていた。
朝霧の中の美瑛、夕焼けの美瑛、星空の下の美瑛、雪の美瑛、・・・そうだ、今見る美瑛は一つの顔に過ぎない。モネの睡蓮の連作のような「美瑛の連作」が描けたら素晴しい・・・と見てきた風景に異なった色彩を被せて楽しんでいると、
「お待ちかねの三浦さんの所にご案内いたしましょう」と先を急かされた。
私は、尚も、一枚の傑作を求めて画家や写真家が重い荷物を担いでこの丘を駆け巡る姿や、美しい風景の下埋まる、原野を拓き、道をつけ、風雪に耐え、今も畑を耕す人々の長い苦闘の歴史を思いながら、「風景の変る町」と勝手に名付けた美瑛を離れた。
<富良野・花に埋まる>
深山峠を下った所に草分神社の小さな社。入口近くに三浦綾子「泥流地帯」の文学碑が噴火に耐えられるような巨大な石組みに黒御影石を挟んで堂々と建っていた。文学碑と言っても150人近い犠牲者を出した十勝岳噴火災害復旧60周年記念碑。碑面には「
泥流地帯」の一節が刻まれていた。こんな所に案内したのは初めてですと運転手も言うが、ここに来るのは三浦綾子ファン位。
*出かけに一寸覗いてきた「泥流地帯」の本の帯びを紹介しておこう。 「天は何故、貧しくも懸命に生きてきた彼らに、このような試練をあたえるのか?突然の火山爆発、家も学校も恋も夢も、泥流が一気に押し流してゆく…。」人生の試練を描き、生きかたを問いかける感動の長編!大正15年(1926年)5月24日の十勝岳大噴火を描いた『泥流地帯』。十勝岳山麓の上富良野の農村を舞台にさまざまな人間の織りなすドラマの中に、愛と勇気をとらえた作品」
ここには信州・浅間山の噴火を歌った立原道造の詩、「
ささやかな地異は その記念(かたみ)に 灰を降らした この村に ひとしきり 灰はかなしい追憶のやうに 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった・・・」がぴったりだ。十勝の山は今日も変らず悠然と煙を上げている。80年の歳月と人々の努力が、悲しみを白い花に変えた。神社の横の畑ではそのジャガイモの白い花が盛りであった。
(上富良野:三浦綾子文学碑) (ラベンダー畑と立原道造詩碑碑面合成)
(芦別夫婦滝:葛西善蔵文学碑)
「天国に続く門は花に縁取られていた ここを通るにはどんなパスポートを用意すればいいのか」こんなキャプションをアルバムに付けた花園が広がる「富田ファーム」は人で溢れていた。
美瑛を案内してくれた運転手と別れると、眼の前に見事なラベンダーが黄色い花に囲まれてお出迎え。最盛期には少し早い、五分咲きで色づきは薄かったが、「夜に降ったばかりの紫水晶の雨が大地を染めていた
これは星の王子様が乗っていた星の欠片(かけら)にちがいない」とメモする。
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