<ビバ 美唄!>
   滝川市から美唄市までは日本一の長さの直線道路(延長30km)を走る。流れるように走る。
美唄市は石狩平野のほぼ中心にある。私が、最初に「美唄」の名を覚えたのは「炭鉱の街」としてで、それ以外のことは今も何も知らない。三菱・三井の炭鉱が遥か彼方に去った今、最盛期(昭和20−30年代)の9万人の人口は、3万人に減少した。「びばい」の語源はアイヌ語の「ピパオイ」で「カラス貝の多い所」という意味だそうだ。どうやら、私達がこの町の「黒いカラス貝」を食べつくしてしまったようだ。
   市役所の前庭に三基の碑が夏の日差しを受けていた。 一つは長谷川零余子(「雪をみれば 蝦夷物足らず 秋の蝶」)・かな女(「花蕗を 別けて 石狩川となれり」)夫妻の夫婦句碑。二つ目は、地元の俳人・正岡陽炎女の句碑(「農婦野に 座せば陽炎 髪なぶる」)がそれに並ぶ。三つ目は少し離れた所にある、巨大な林芙美子文学碑で、「美唄の町は 美しき唄とかくなり。・・・」から始まる長詩がいかにも文学者らしい文字で躍っていた。   駅前に最近出来た啄木の歌碑(「石狩の美国といへる停車場の柵に乾してありし赤き布片かな」)を見る。駅から少し離れた大通りの緑地帯の芝生には、地元の俳句愛好家が「美唄うたの碑」と呼ぶ句碑群をばら撒いていた。緑の芝生と青い石、刻まれた白い句が調和して見事であった。
   カロチンさんが是非にと案内してくれたのは、「アルテピアッツァ美唄」(イタリア語で芸術広場の意味)。そこは、美唄の山の手・落合町にあった。 昭和56年に廃校になった栄小学校の校舎や体育館を、世界を舞台に活躍する、美唄出身の彫刻家・安田侃(昭和20年生)の美術館として再生したものだ。
   「先ず、元の運動場を見てみましょう」とカロチンさん。
   広い芝生の其処此処に彫刻が散ばる。芝生の緑に黒いダイヤが変身した白い大理石が眩しい。40年ほど前には、周りを炭鉱住宅が埋め尽くし、校庭に子供たちの声が溢れていた。そんな人間の営みを緑が埋め尽くしてしまっていた。
   「大理石と言えば、昔から、イタリアですよね。安田侃さんはそのイタリアの大理石の名産地・北イタリアのカラーラの近くのピエトラサンタにアトリエを持っています。古くからイタリアの彫刻はカラーラ近辺の大理石で作られていますが、イタリア人以外で彼の地の大理石を使える数少ない彫刻家の一人だそうです」とカロチンさん。
   「なるほど、ミケランジェロと同格なのですね」と応じる。
   「天沐(もく)」と名づけられた大理石の石組みの彫刻がある。白い石の上を青い水が流れ、緑の中に沁み込んで行く。その造形は、パリの新凱旋門から凱旋門を経てシャンゼリゼを通り、ルーブルに延びる美しい道路とセーヌ川をミニチュアとして美唄に再現したように思えた。その他、広い園地には黒御影石の造形「妙夢」「真無」などがさりげなく置かれている。
   「この場所だから、私の作品を置く意味があります。私にとっていちばん手ごわい鑑賞者が子どもたちです。彼らにそっぽを向かれたら、私はノミを捨てるでしょう」。ここに作品を並べるに際して安田侃氏は述べている。
   「子供たちの目で作品を見て欲しい」との夢が叶い、今も、旧校舎の一階は幼稚園。その二階に上ると、昔の教室そのままで、むき出しの梁は太く頑丈だ。床にさりげなく安田侃の作品が転がっている。廊下の壁には谷川俊太郎と大岡信の自筆の詩が飾られている。 ルーブル美術館で世界の名作を間近に見入る小学生のように、置かれた一流品を触ってみる。眼を輝かして見る。何という言う贅沢か。
   「素晴しいでしょう」と何度も来たカロチンさんも再会に満足気。
   「みごとですねえ」とこちらも「大」のつく満足気分。会話が爽やかな風の中に溶け込む。
   元の体育館は彫刻の展示場とホールを兼ねた設計で、音楽会や講演会などを開けるように設計されていた。 ここで音楽会?と驚くような設備。文化施設といえば、何処もお金を掛けた建物ばかり。そして、作ってしまった後は、無用の長物・・・と言うのが流行っているが、ここは違った。天然の空調、即席の椅子、設備は素朴だが、頂いたパンフレットを見ると、演目も、演奏者も一流。 文化を大事にすることと、設備にお金を掛けることは正比例しないのだ。要は、それが欲しい人の気持をどう設備につぎ込むかだ。それを作り、利用する人の心持ちなのだ・・との印象を受けた。
   安田侃も、応援する人も良い所を選んだものだと感心しながら、ゆっくりとした時の流を味わった。不遜にも、一級の作品を椅子の代りにすると言う贅沢さで。 白樺の大木が折からの夕日を浴びて輝く。空にはさわさわと風の音、地には心が豊かになって、散策を楽しむ人。美唄は「美しい唄」の流れる街であった。私は廃墟が見事に変身した姿を見ながら、道造の前に掲げた「石の柱」詩を思い出していた。
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