(神奈川県横浜市・能満寺の句碑:和歌山高野山・奥の院の句碑−借物写真)

 
3月29日。初めて和歌山に足を伸ばし、和歌浦に来た。ここも万葉以来の歌枕の地なので一度来て見たかった所であった。文献で読んで想像していた中国の風景がそのまま眼前ににあった。有名な山部赤人の「和歌の浦に潮満ち来れば潟を無み葦邊をさして鶴鳴き渡る」の通り、深く切れ込んだ入江には芦の干潟が広がり、紀ノ川が注ぎ込んでいる。遠くには名草山が悠然と横たわるこの風景は日本の美の典型であろう。
  「和歌」の聖地で佇んでいると、必死で切り開いてきた俳句の道が、漸くにして、和歌の道に並んだように思われて、一句詠んだ。
   
「行く春に和歌の浦にて追ひ付きたり」(和歌山市和歌浦・玉津島神社脇に句碑)
 
遠くに光る名草山の中腹には名刹・紀三井寺があった。早咲きの桜の名所だが、もう若葉ばかり、200段もの石段は老いを自覚させるに充分であった。眼下には、先ほど見てきた和歌浦の絶景が横たわっていた。紀行文に仕上げるときには、名文を書かねばなるまい・・。
 
「見あぐれば桜しまふて紀三井寺」和歌山市紀三井寺に句碑)
           
          (和歌山市・和歌浦の芭蕉句碑:同・紀三井寺の芭蕉句碑・奈良市・唐招提寺の芭蕉句碑)

 
4月8日に奈良に到着、懐かしい鹿たちに再会した。前回は二月堂の修二会(お水取り)に参篭して一句を得たが、今回はお釈迦様の誕生日で賑わっていた。春日神社から唐招提寺に周った。何時来てもここは気持ちが休まる所だ。広い境内は緑のそよ風の中にあった。この寺を創建した鑑真和尚の苦難の旅路をわが身になぞらえていると、漂泊の身がいとおしく、一句献上することにした。
   「若葉して御目の雫ぬぐはばや」(奈良市・唐招提寺に句碑)

 
4月11日。奈良を発って、大阪経由、19日船で神戸に上陸した。
  旅も終盤になった。病弱の身に鞭をあて、道中に倒れて死ぬ覚悟をしても、歌枕、古跡を訪ね、言霊に出会える楽しみ、喜びが旅の醍醐味であろう。 須磨といえば、長い間、私を捕らえて離さない平家物語の「生者必滅、会者定離」の言葉や「平敦盛の青葉の笛」が思い出される。また、古来より「月の名所」で、その月を愛した光源氏のことも偲ばれる。 合戦の跡地や古刹の須磨寺に心躍らせながら、幾つかの句を書き留めた。
 
「月はあれど留守のやうなり須磨の夏」
 
「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇」(神戸市・須磨寺に句碑)
  「ほととぎす消え行く方や島一つ」(三重県鳥羽市・金胎寺に句碑)

翌日、明石を訪ねた。古は「流刑の地」。都の権力闘争に敗れた貴族が浦の苫屋で月を見ながら余生を送った所。永遠に変わる事のない波の音がきっと永い眠りへの子守唄に聞こえただろう。私も何れは毎日、ただ波の音だけを聴く日々を送りたいもの・・などと儚い夢を描きながら夜空を彷徨った。
  「蛸壺やはかなき夢を夏の月」
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