いしぶみ紀行「老いの小文」
ひとつの旅がひとつの生き方を決めて行く。松尾芭蕉の生涯を追っかけて行くとそんな言葉が浮かんでくる。松尾芭蕉の1687年(貞享4年)から翌年にかけての上方紀行は、生涯の集大成・「奥の細道」ほど有名ではないが、芭蕉の「老いの生き方」を決めた旅であった。
この旅の記録は芭蕉の死後、大津の門人・川井乙州によって、「笈の小文」として纏められたが、芭蕉自身は旅のメモを残しているに過ぎない。
そこで、恐れ多いが、芭蕉の名句と足跡を辿りつつ、勝手な解釈で「老いの小文」に再編集して、これからのわが旅の道標としたい。
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私・芭蕉はもう44歳(現代風には60歳を過ぎた)、時の流れをしみじみと味わう歳になった。
若くして青雲の志を抱いて江戸に出て来て、早くも15年の歳月が過ぎた。色々と迷いはあったが、俳句一筋に賭けて来たお蔭で、俳句師匠として身をたて、弟子も増え、何とか名を上げた。先師の歌人の西行や連歌師の宗祇にも肉薄する境地に到達でき、後継者となることが出来たのではないかと密かに自負している。
思い起こせば、これまでの日々は旅に明け、旅に暮れた。旅の中で、俳句(風雅)の道は「自然を友として、森羅万象に美を見出す」ことにあると悟った。さすれば、また旅に出て、万物との一期一会の楽しみを味わい思索を深めたい、と上方紀行を思い立った。父の33回忌の法要を営まなければならないし・・・・。
10月11日。榎本其角の屋敷で弟子たちが送別会を開いてくれた。遥かな旅路を想い、一句詠んだ。この歳になっても、生来の「風来坊」の性格は変らず、弟子たちが建ててくれた芭蕉庵も「仮の宿」に思われる。庵の屋根を濡らす時雨を眺め、「定めなき旅」から逃れられない宿命の中に常住している気持ちを句にしてみた。一昨年の「野ざらし紀行」の時の発句「野ざらしを心に風のしむ身かな」は必死の思い出書き付けたが、今回はそれより余裕のある句を詠めたと思う。
「旅人とわが名呼ばれん初しぐれ」(神奈川厚木市・日吉神社に句碑)
(神奈川厚木市・日吉神社句碑:神奈川県大磯・鴫立庵句碑)
10月25日江戸を発った。相模から駿河への途中、西行に縁の大磯の「鴫立庵」にも立ち寄り、箱根の山越えの無事を祈って一句書き留めた。
「箱根こす人も有るらし今朝の雪」(神奈川大磯町・鴫立庵に句碑)
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