昭和55年、「菜の花のような便りをいただいて 腕こまねいてむせている」(歌碑の道の歌碑)所収の第三歌集『こおろぎ』を刊行。
  昭和60年肺がんにて横浜国立病院にて永眠、享年71歳。

多くの愛読者に恵まれた方代は、「世を捨てた」ゆえに「世に拾われた」歌人といえよう。鎌倉の瑞泉寺には「山崎方代を語り継ぐ会」が建てた碑がある。
 
 「手の平に 豆腐をのせて いそいそと いつもの角を 曲りて帰る」
  この碑は「花の寺」山門前で、何時も訪れる客をにこやかに迎えている。
  今日巡り歩いた、故郷・中道町の歌碑と鎌倉にある二基の歌碑。これが山崎方代の歌碑の全てである。
         
                 (左:瑞泉寺と右:方代艸庵の山崎方代歌碑)
  歌碑になっている幾つかの歌を読むと、話しことばを自在にまぜ、形にこだわらない方代の「うた」は読み手の心を深くゆさぶる。昨今人気の俵万智の先駆者とも言えようか。
   同郷の歌人・富永光子は方代の歌をこう解説する。
  「方代さんの人柄の温かさにより、作品と作者とが一体となって、方代さん独自の歌が生まれてきます。方代さんのもの言わぬそのものに注ぐ視線は限りなく暖かい。眼の悪い方代さんは手でものに触れ、そのものと心を通わせ、安らぎを得、慰められるのだと思います。運命にさからわず、嘆かず、悲しまず、ユ−モアで他人の心を励まし慰める。まさに悟り得た境地なのではないでしょうか。」
  また、歌人・尾崎佐永子は「読めば情景がたち上がり、そこに方代がいるかと思うと、読む者"自ら"が居させられてしまう、そのための"劇的空間"と"文体"の独特さがすばらしい」と語っている。

   「いまだ漂泊せり。壮健なれど漸くにして年歯かたむく」時期を迎えている昨今、心にそっと入り込んでくる歌の数々を巡り歩いた「花のいしぶみ紀行」であった。 (2004.04記)
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