−桃源郷を訪ねて−
  塩山市から葡萄で有名な勝沼町へは一面の葡萄畑。詩人尾崎喜八が「春の葡萄山」の詩の中で『・・・雪と豪毅の山岳に見まもられて/葡萄山の葡萄の株の/みやびやかな「時」の中でのこの隠忍・・』と詠った畑中の道。勝沼を葡萄で有名にした功労者の宮崎光太郎の屋敷と葡萄園(「宮光葡萄園」)はどうしたことか廃屋になっていた。 立派な屋敷門は施錠されていて入れない。碑を見たい一心で、横手の鉄条網の間から潜り込み、荒廃した屋敷内の雑草を掻き分けて探す。記念碑は幾つもあったが、句・歌碑は見つからない。諦めかけて旧屋敷前にあるメルシャンの「ワイン資料館」の園地を覗くと碑らしきものが点在。念のために入園して見ると、目指すものがあってほっとする。喜び勇んで写真を撮ろうとすると電池切れ。廃屋の雑草がズボン一面についているのを忘れて走り回った。
 
「峡川の 笛吹川を 越えくれば この高はらは 皆ぶだうなり」(窪田空穂)   「天の露 地に玉敷く 葡萄かな」(巌谷小波)  「信玄に 似かよふぶどう 園主かな」(藤森成吉)

   あれやこれやで時間ばかりが過ぎて行く。予定のレストランは予約で満席。やっと見晴らしの良いレストランに辿り着き、何時もの事ながら遅い、おそーい昼食。
  このあたりから葡萄畑は桃の畑に変り、一宮町の34号線はまさに「桃街道」。「桃・もも・モモ」のピンクのカーテンをかき分けて進み、地図に無い「花見台」を目指す。細い桃畑の農道に車を乗り入れて登って行く。桃祭の土曜日なので渋滞を避けるためか一方通行。急坂の所々に警備員がいて誘導してくれる。標高600mの花見台まであと少しの所で、「この先は渋滞しているので、ここからお帰りください」とつれない誘導。少し下った所に小さなスペースを見つけて強引に駐車。
  車を出て驚いた。眼下は遠くの山裾までピンクの絨毯。すり鉢状に落ち込んだ盆地の底は花で埋め尽くされ、桃色の柔かいベールを冠り、仄かな香に満ちている。広がる光景が「桃源郷」の由来かと納得する。耳元に「田園シンフォニー」が聞こえてきたのは夢の中のことだったのだろうか・・と考えながら、暫らくは、少年のように頬を染めて、「桃源郷」に身を委ねていた。予定より大幅に遅れていたが、二度とこんな光景にはお眼にかかれないだろうと場所を変えては花の変奏曲を楽しんだ。
                   
                              (一宮町の桃源郷と塩山市慈雲寺の桃畑)
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