(放光寺:伊藤左千夫歌碑・境内の春の花々)
  放光寺から塩山駅に近い向嶽寺まではひと走り。この寺は歌枕「塩の山」の南麓にある臨済宗の名刹である。富士山に向って佇つ寺なので「向嶽」の名が付いたという。何度も戦乱に逢ったが、難を逃れた中門と左右に伸びる築地塀は壮大な構えで、広い境内が武田家の縁の寺として隆盛極めた跡を偲ばせる。寺の駐車場脇に大村主計の詩碑が建っていた(牧丘町と同文)。作者が20歳の時、姉の花嫁姿を涙で見送った時の感動を詩に託したものと言われている。姉はこの寺の桜並木を通って、嫁に行ったという縁でここに詩碑が建てられた。愛弟子の詩碑の除幕式に参列した八十がその時に残した詩句がいしぶみになって新しく建てられていた。
「親しき友の石ふみのたつ塩山の秋の空 流るる雲の石ふみに草むす日など想いつつ」
  塩山駅前を抜けて東の山麓の慈雲寺に登る。かなりの坂道だが、桃の花の中を歩いて楽しむ人々も多い。「車だと急坂は楽だが花を楽しむ余裕はないよ。歩くに限るよ」と呟いていたようだ。10分ほどで慈雲寺に到着した。慈雲寺は夢窓国師によって開かれた禅寺である。放光寺同様ここも春の花で溢れていた。連翹の黄色、桃のピンク、スモモの白・・・パレットをひっくり返した風情。樹齢300年の銘木・枝垂桜は見頃が過ぎ、小さな花が必死で枝にしがみ付いていた。 境内の「樋口一葉文学碑」は小さいながら満開の枝垂桜の中に光っていた。大正11年に両親の故郷である当地(ここ塩山市中荻原)に建てられた立派な文学碑で、幸田露伴が一葉女史の文学上の功績を撰文している。往時にこれほどの文学碑が建てられたのは珍しいことであった。薄幸で短命だった女史はとうとう一度もこの地に来たことはなかったという。東の山麓は「ももももも  スモモもももも  もものうち」とピンクと白の花で埋め尽くされていて圧巻だった。
                     
                   (慈雲寺・樋口一葉文学碑と慈雲寺・東山の桃源郷)
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