雁坂道を牧丘町に車を走らせる。右手向うに大菩薩峠(東京への道)、正面に雁坂峠(秩父への道)が立ちはだかる中を、6kmほどで町に入り、役場近くの文化ホール前で当地出身の大村主計の詩碑「花かげ」にご対面。この詩は昭和6年に豊田義一が作曲し発表。松田トシや川田姉妹が歌って大ヒットした童謡として知られている。
  「十五夜お月さま ひとりぼち さくら吹雪の花かげに 花嫁姿の お姉さま 俥にゆられて 行きました」
    桜の美しい光景と少年の哀歓が見事に詠い上げられている詩碑は、黒御影石の大きなもので、脇に桜の若木が少しだけ花をつけていた。
    
        (文化ホールの詩碑碑面と桜の合成写真−:向嶽寺の大村主計・西條八十詩碑)
     大村主計(明治34−昭和55)略歴。 現在の東山梨郡牧丘町生。都留中学校の教員養成所を卒業。小学校など教員を務めた後上京し、東洋大学国文科を卒業。テイチクレコード、通信社、新聞社等を経て、スポーツタイムズ社長に就任。傍ら、西条八十に師事し詩作。日本童謡協会など多くの文化 団体要職を歴任。
−花・花・花の旅−
  牧丘町文化ホールの少し南側はもう塩山市で、訪れた放光寺が小山の上に見えた。花の寺として知られているこの寺は平安末期の創建で、広い境内は早春から晩秋まで花で彩られるという。今日は駐車場に入った所から満開の桃の花に囲まれ、暗い本堂には当地に古くから伝わる雛人形が鎮座していた。
   門前の桜は少し見頃を過ぎていたがそこに伊藤左千夫歌碑を見つけた。
   
「天人の 笛吹川に 名も立てる 岸の栗原 色づきにけり」
  中門の脇の池畔には水原秋桜子の句碑がひっそりとかしこまっていた。
   
「御佛も 凍りたまへり 梅月夜」
  小鳥が羽ばたくたびに花吹雪が舞う。桃も連翹も馬酔木も・・と境内は花々で埋まっていた。人気の少ない境内を歩くと桜を詠った名詩の三好達治「甃のうへ」が聞こえてくるような美しい寺であった。
 
「あはれ花びらながれ/をみなごに花びらながれ/をみなごしめやかに語らひあゆみ/うららかの跫音空   にながれ/をりふしに瞳をあげて/翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり・・・・」
  隣の恵林寺は武田信玄の菩提寺で、快川和尚「滅却心頭火自」の言葉で有名な所だが、以前訪れたし、混雑する所なので敬遠した。

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