駐車場前の蕎麦屋で昼食。注文の品が届くまで、町役場に電話して、「水恋広場」にあるという与謝野晶子歌碑の場所を教えてもらうが、要領を得なかった。兎に角、遊歩道を湯ヶ島温泉に向っていけば途中で出会うだろうと、急いで昼食を済ます。
歩き出してまもなく、「天城山荘」バス停の脇に、珍しい形の句碑(黒御影石の石版を白御影石の二本手の形の支柱で受け止めた)と再会した。映画監督・五所平之助の句碑である。前に来たときには、この辺りまでの急な坂道に相当へばっていてこの句碑のところで大休止をとった。
「踊り子といえば朱の櫛あまぎ秋」 と碑面に彫られ、碑の裏側には歴代の「伊豆の踊子」主演女優の名前が刻まれている。第一回が「田中絹代(s.08)」(この映画が五所平之助の監督作品)で、以下、「美空ひばり(s.29)」「鰐淵晴子(s.35)」「吉永小百合(s.38)」「内藤洋子(s.42)」「山口百恵(s.49)」と列記されていた。
そうだ、天城街道といえば、誰もが川端康成の出世作「伊豆の踊子」なのだ。 河津から湯ヶ島までの間には二基の文学碑と二基の記念像が建っている。河津町の湯ヶ野温泉の福田屋旅館の横には「湯ヶ野までは河津川の渓谷に沿うて三里余り・・・」と刻まれた文学碑(s40建立.自筆)が、河津七滝の初景滝には「伊豆の踊子」像が、そして、小説冒頭の「道がつづら折になって、いよいよ天城峠に近づいたと思ふころ、雨脚が杉の密林を白く染めながらすさまじい早さで麓から、私を追って来た」を刻んだ文学碑(s56.自筆)が旧天城トンネルを湯ヶ島側に500m下った所に建っている。更に、浄蓮の滝の入口にも「伊豆の踊子」像があって、まさに天城街道は「踊子街道」となっている。国道に沿って走る、旧街道の「踊子遊歩道」を歩けば(といっても全行程を歩くのは容易でない)少しは往時の気分を味わえるという
(写真はs.63撮影の川端康成文学碑で左「湯ヶ野温泉福田家」.右「旧天城トンネル近」)
その踊子遊歩道の半分ほどを歩こうと、また、狩野川沿いの道に踏み込んだ。五所平之助の句碑を過ぎると、急な下りは湯ヶ島温泉の在所に近づいて来る。遊歩道終点近く、国道の猿橋の下に目指す「水恋広場」(キャンプ場)があって、片隅に与謝野晶子の歌碑が苔むしていた。昭和10年に夫妻で来遊した時に詠んで、白桜集に収められている作品である。
「伊豆の奥 天城の山を 夜越えぬ 淋しき事に なれはてぬれば」(s.50建立)
P.4へ戻る
P.5
P.6へ進む