碑面には、散文詩「猟銃」が自筆で刻まれていた。
なぜかその中年男は村人の顰蹙を買ひ、彼に集まる不評判は子供の/私の耳にさえも入ってゐ    た。ある冬     の朝、私は、その人がかたく銃弾の/腰帯をしめ、コールテンの上衣の上に猟銃を    重くくひこませ、長靴で/      霜柱を踏みしだきながら、天城への間道の叢をゆっくりと分け登って    /ゆくのを見たことがあった。/それか     ら二十余年、その人はとうに故人になったが、その時      のその/人の背後姿は今でも私の瞼から消えない。生きものの命断つ白い鋼鉄/の器具で、あの   ように冷たく武装しなければならなかったものは何で/あったらうか。私はいまでも都会の雑踏の     中にある時、ふと、あの猟人/のように歩きたいと思うことがある。ゆっくりと、静かに、冷たく――。   /そして、人生の白い河床をのぞき見た中年の孤独なる精神と肉体/の双方に、同時にしみ入る  ような重量感を捺印するものは、やはりあ/の磨き光れる一箇の猟銃をおいてはないと思うのだ。
                           
                           (写真左:「井上靖詩碑とわが愛車s.63年」.右「井上靖詩碑h.16年」)
  詩集「北国」の後書で作者は「私は小説を書き出してから、自分の詩のノートに収めてある作品から、何篇かの小説を書いている」と述べているように、この散文詩も後に同名の短編として世に出し、文壇に迎えられた。副碑にある評論家・山本健吉撰文の案内文は以下の通り記している。
「猟銃は当代文学の巨壁井上靖が、郷里伊豆湯ヶ島を舞台に、孤独な一人の猟人の生を描いた珠玉の短編であり、事実上の処女作でもあった。時に既に彼の齢は不惑、人生の白い川床を歩くこの中年男の姿は、作者自身の内面を明かすかに見える。彼の天賦の才は、彼を物語作者として、漱石以来の名手とした。しかも彼の内なる志は、自らその才を抛ち、鴎外のごとく、述べて作らぬ歴史へと向わせる。しかも、少年期以来心に育てたシルク.ロードヘの浪曼的憧憬は、年とともに膨らみ、東洋の理想を説いた天真の衣鉢を嗣ぐ者たらしめ、底に燃ゆる詩魂の持続は、遥かに若き日の藤村にも通じ合う。言わば近代文学の最高の部分がここに集中し、一つの壮大絢欄の世界として花開いた。処女作に描かれた白い川床は、何時か蕩々たる大河となった。ふるさとびとら、一片臥々の彼の志を慕い、併せてその源の一滴を永く記念し、天城の山々を背に、ここに一基の碑を建つると云爾。昭和五十七年四月
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