午後、もうひと踏ん張りして、伊豆高原駅から20分ほどの城ヶ崎海岸の遊歩道を往復して「水原秋桜子句碑」を訪ねた。ここは穴場で、海面から20mの空中の「橋立吊橋」から春の海を堪能した。   「磯魚の笠子もあかし山椿 秋桜子」(s.46建立.自筆)
   雑木林を渡る暖かい風、青い海から湧いてくる波の音、梅の花に憩うメジロ、海に注ぐ小川で遊ぶセキレイの声などが、年初から私を取り巻いているサウダーデをそっと取り除いてくれた。 今回は10基程の碑を、ぽかぽかした春の陽気の中で訪ね歩き回った。
   この地は文学碑の宝庫で、この他、駅裏の高台の公園や海岸にある当地出身の「木下杢太郎詩碑」、「一碧湖畔の与謝野鉄幹・晶子歌碑」、「大室山山麓の桜の園の高浜虚子句碑」など素晴しい文学碑が並ぶが、もう何度か訪れた所なので先を急いだ。

 「河津桜」
   河津桜は少し時期が早かったようだった。 菜の花は見頃だったが、桜花は拾い歩くことになった。枝にしがみついた沢山の蕾は暖かい日差しを必死に吸収し蓄えようとしていた。それでも、若木の多い河津川の桜並木はずっと遠くまで、大勢の人で溢れていて、年に一度の書き入れ時とばかりに並んだ露店から客を呼ぶ声が威勢良く響いていた。
  少し離れた河津桜(寒緋桜と大島桜を初めて自然交配させた早咲き桜)の原木は、花盛り一歩手前で濃紅(最盛期には淡紅色)に盛り上がっていた。ここまで足を運ぶ人も少なく、樹齢50年の老いた河津桜に満足して引き上げた。近くの店先に吊るされた「吊るし雛」も春の訪れを告げていた。 伊豆七島を臨む夕暮と相模湾に昇る朝日が旅情を掻き立てたせいか眠りは浅かった。
   
                              (写真左から 「河津桜原木」「同最盛期」(借物)  「つるしびな」(借物))
  「天城路」
   河津から天城峠を越えて、少し下った滑沢渓谷入口でバスを捨てて歩くことにした。伊豆は暖かく歩くによし、歩かねばその良さがわからない、と張り切って天城の山中に足を踏み入れた。狩野川上流のこの辺りは、杉林で春一番がはしゃぎ廻り、清流が音を立てて岩を噛み、脇には山葵田が横たわっていた。
  滑沢渓谷の入口には「井上靖.猟銃詩碑」がその巨大な姿を杉林に埋めて立っていた。大げさすぎる位の詩碑だが違和感がない。人間の孤独を見つめるには、この大自然の真ん中が相応しいと感じる場所だし、人生の白い川床を歩くには、時にはこのように自然の懐に飛び込み、癒されることが必要だと教えていた。 汗だくで登って来て、ごうごうと音を立てて杉林を渡る風の中で、やっとの思いで詩碑に辿り着いたあの日の喜びを甦らせながら冷たい碑面に触れて見る。

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