素晴しい作品である。「狐は青いかげになるのだ」「山から一直線に走ってくるその影」「とき色にひかる雪あかり」の詩句は読者を魅了してやまない。恐らく、作者はこの最終行「狐はみごもっている」から発想して行ったのではないかと思われるが、それを最終行に置いたところが憎い。 「吹雪」「鶏小屋」「みごもった雌狐」の語句は、「生と死のドラマ」を見事に捕らえている。大自然への奥深い観照から生れた、「無常」に対する作者の抒情がある。作者が追い求めた新しい抒情詩がここにあるとの大岡信の指摘は鋭い。
この詩に示されている自然界の大きな循環、「死がなければ 生もない」という摂理の中では、人間とても例外ではない。お別れも大きな巡りの輪の一点として受け入れて、「やがて消滅するために 今は ちからいっぱい光る」ことに努めよう。せめて歩く坂道が「とき色」に照らされることを願って・・・。
近くの飯能第一小学校に蔵原伸二郎の作った「校歌」の碑と千家尊福の短歌碑を訪ねてから駅に向かって歩き始めた。歩きながら、今日のお別れを何とか詩に纏めようした。が、蔵原伸二郎の作品を見た後ではとうてい物にならなかった。 短い冬日は弱々しく落ちて行った。 予想に違わず立派な詩碑に巡り会えた喜びが、私のサウダーデを少しだけ和らげてくれた。
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老いを重ねてくると、次第に「わがまま」が増えてきた。「子供に帰って行く」表れらしい。立派な詩を読んでいただいた後だが、恥を忍んで「わがまま」を書きとめることにした。 故人の優しさに触れてきた私の「最後の甘え」とお笑い下さい。