「戸隠の秋」
戸隠への道は、長野市街から一気に登る。
長野五輪前の前回は善光寺の裏山の細道を喘ぎながら、今回は淺川経由で開発されたループ橋からコスモスと真赤な林檎に囲まれて登った。
「日本の秋」は飯綱高原のスキー場を過ぎた辺りから始まり、「バードライン」と称する高原の「紅葉のトンネル」が第一楽章。収穫を終えた蕎麦の畑から戸隠村に入り、戸隠神社の宝光社のある部落を越えると、道は一段と紅葉が鮮やかさを増した中社の森まで一気に駆け上がる。中社には再訪する津村信夫の詩碑があるが、先に、詩人が愛した越水が原を歩くことにする。
水芭蕉の群生で有名な越水が原(数年前にも訪れたが名残の雪ばかりですごすごと引き返した)を歩いて「越水ロッジ」の脇の小林一茶の句碑を訪ねた。人気も無く淋しげで、「秋風のふきもへらさず比丘尼石」と当地に伝わる伝説を詠んだ句が刻まれ、落葉松の金色の雨に濡れていた。
奥社の参道入口に着いて仰天した。乗って来たバスは10人ほどの観光客であったし、中社も越水が原も人気が無かったのに、ここは大勢の観光客で溢れていた。
真っ直ぐに戸隠山に伸びる杉並木の参道を大勢の人と一緒に歩き始める。道幅は狭いが、この樹齢3−400年の大杉の参道は日光や箱根の杉並木に匹敵する立派なもので、薄暗い道が「随身門」まで1kmほど続いた。杉木立が終わる頃次第に登りにかかる。ぽっかりと開いた空から真赤な紅葉が落ちてくる頃、最後の急な石段が立ち塞がる。切り立つ岩肌は間違いなく戸隠山だ。
登りつめると垂直の岩壁に奥社がへばり付いていた。到着を待ちかねたように雲が動いて太陽が顔を出し、周りは最盛期の黄と赤と緑色のグラデーションで埋め尽くされている。
「日本の秋」だ。猫の額の境内は押すな押すなの賑わい。これほど見事な紅葉では誰もが立ち去りがたい。