(焼岳と大正池)(大正池に映る穂高連峰)(右写真クリック拡大

 標高1500mの空気は少し肌寒かった。快晴の「大正池」に降り立った時の興奮も加わり身が引き締まる。焼岳の荒れた山肌は優しい朝の光を受け止め、山頂から細い二筋の蒸気を天に吐き出していた。梓川の清流は槍ヶ岳からの旅路の疲れをその山麓で憩っていた。信濃川となって日本海までの300kmの長旅に備えて。
  眼を転じると、雲ひとつ無い青空の下に、3000m級の明神、前穂、奥穂、西穂と穂高の連峰がずらりと勢揃いして、尾崎喜八が「世にも美しく男らしい谷間」と表現した氷河期の遺産・「岳沢カール」が裾野を広げていた。
  ここでは誰もが息を呑む。
  山の詩人・尾崎喜八の「上高地の朝の感慨」(一部)と題する詩の一節がすとんと胸に落ちる。


 
 「命あって今年も訪れた上高地/山の貌、谷の姿、去年に変わらず雲をちりばめて聳え立つ大穂高の下/清い流れの梓川のほとりで (中略)老いたるは敬うべく頼むべく/若きは愛すべく雄々しく凛々しい。山と人とのかくも望ましいめぐりあいが/無常迅速の時の流れの中に/そう幾たびもあろうとは思われない」


  40年近く前、この聖地に初めて足を踏み入れたのは、旅館が明日から冬季休業に入るという秋の終りの時。寒さを堪えて、誰もいない河童橋から、朝日に輝く連峰を見た時「神の世界」に触れた気分を味わい緊張した。山は大きく高く人間を拒み、梓川は激しい流れでピイーンと張り詰めていた。その風景は、そこに佇む若者を眼前に聳える高みへと、まだ見ぬ世界へ果敢な挑戦に誘った。
  ここ上高地は、近代に生きる人間に(特に青春期の人間に)神の存在を感じさせ、なおかつ、挑戦的に神に近づこうと決意させる聖地だ。天空に神が存在すという西欧の精神に触れる場所なのだ。年老いて訪れたものは、喜八の詩のように「老いたるは敬うべく頼むべく」と頭を垂れ、自らの足跡を探すのが似合う場所だ。

  大正池から田代池へ熊笹とダケカンバやシラカバの林を歩く。時々、落葉松の雨が降ってくる。背後に遠ざかる焼岳を何度も振り返る。田代池の水鳥と挨拶を交わし、大混雑の河童橋に進んだが、ここはシャッターの音ばかり。

   
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