
伊予上灘駅、朝6時半過ぎ。

松山を5:51に出る宇和島行き911Dはこの駅で17分停車します。
今日は風もなく穏やかな一日になりそう。波もほとんどないようなので青島に行くことにしました。
伊予長浜7:17着。
駅から歩いて3分で長浜桟橋。定期船「あおしま」が待ってます。

切符を買って出航を待ちます。

平日ということもあるのでしょうが、今日の乗船客は8人だけ。そのうち釣り目的の人が4人。どうやら猫に会いに行くのは私のほかには台湾から来たという女性2人組と関西から来たという男性1人だけ。かつては平日でも満員になることがあったんですが、もう昔語りになりました。

この船ももう10年選手になるんですね。
前の船が引退して新造船が就航すると言っていたのがついこの間のことのように思えます。

総トン数わずかに33トン。
島の人々が通院などで本土に渡るのと生活物資を運ぶのが主な役割だったこの航路。それが10年前くらいからの「猫ブーム」で全国から猫目当ての観光客が押し寄せ、毎日のように船が満員になり、島の人々も困惑したことがありました。しかし他の「猫島」が有名になり、なおかつ青島の猫たちが全頭避妊去勢手術を受けて数を減らすと、まるで潮が引くように日本人観光客の数は減り、今は古い情報しか持たない外国人観光客がときたま訪れる程度。なんだか時の移ろいを実感しますね。
それでも私はこの島に通っています。
10年前は16人いた島民も今はわずかに3人。猫の数も200匹から40匹に減ってしまいましたが、この島の人たちと猫たちが健在な限りここの記録を続けたいと…。

船内には猫たちのために大袋のカリカリが積まれていました。かつてはもっとたくさん積まれていたこともあったんですが…。

青島までは35分。

静かな伊予灘を横切って緑の島へ。この島が青島と呼ばれているのは、初めてこの島を発見した人が青々とした緑に覆われていたのが印象に残ったからだと言われています。
お出迎えが二匹。

かつては船が着くと何十匹もの猫が桟橋に出てきたものです。船長さんが猫の餌を持ってくると皆群がってニャーニャーと…そのころを知っているだけにちょっとさみしい。

今は無人となった西側集落へ。何匹かの猫たちとすれ違いながら。


「ネコエサ場」と大きく壁に青いペンキで書かれた広場。外来者のエサやりはこの場所でしか行ってはならない…というルールがあります。


今、この西側のエリアにいる猫たちは20匹ほどでしょうか。
みんなゴハンだけはしっかりもらっているようで、体は丸々としています。
静かな時間が流れる…人の営みがなくなった西側の集落。
でも猫たちの表情も心なしかさみしそうに見えます。


猫の数が減った…というよりも、人が減ってしまったということが彼らの心に大きく影響しているかもしれないですね。
なんだかんだ言っても、猫は野生動物じゃない。人に寄り添って人のそばで生きる動物だから。
ひょっとして訪れる人が減ったことも彼らにとってはさみしいのかもしれない。


船の出入りがほとんどない港の水面は鏡のよう。

日に数度、一隻の船が出入りする。今動いている船はKさんの持ち船だけ。それ以外の時間は桟橋は猫たちの遊び場に。


立派な石垣が組まれた石段。この家も人が住まなくなってからどれだけ経つんだろう??

最盛期の昭和30年代、青島には800人の島民がいたそうです。神社の隣の坂の上には小学校があった。お店だっていくつもあった。
それが今は…かつての98%の家が空き家になり廃屋同然に。もし猫たちがいなくなればネズミが跋扈することでしょう。
この子は長毛種の血が混じっているようで。

よく見ると、毛並みが乱れているのがわかります。どこか体が悪いんでしょうね。毛割れがすごい。
ゴハンだけはしっかりもらっていても健康面のケアまではしてあげられない…ある意味島猫の宿命ですが、それでも世話する人が多い他の島とは違って島民3人となってしまった青島では特にこういう子が目立ちます。それに加えて全頭TNRから7年がたち、猫たちの高齢化が進んでいることもあります。おそらく今、この島の猫たちの平均年齢は10歳を超えていると思います。


この子はすごく懐っこくて体を撫でさせてくれましたが、毛がゴワゴワになっていて…。
でも、どうしてあげることもできないんですよね。佐柳島や田代島のように獣医さんやボランティアさんが定期的に来て猫たちの健康管理をしたりしてくれるわけではないから…いや、そういう恵まれた島はごく一握りではあるんだけど。

甘えて私を見つめる目がどこかさみしそうでした。
陽が高くなって気温が上がってきた。陽射しがまぶしい。


お昼寝する猫たち。


西の集落の中心にある青島神社。

お詣りしようと思って石段を登っていくと、一匹の猫がついていくる。

いつのまにか私を追い越して先回り。(^^;

お詣りして石段を下りていくと、また後をついてきて。

途中で水飲んで。なかなか懐っこい子です。

この子を見ていて、昔この島にいた猫を思い出しました。
私が「ユズ君」と呼んでいた雄猫。11年前、私が何回目かに青島に来たときはまだ1歳の若猫(というかまだ仔猫クラス)でしたが、すごく懐っこくてフォトジェニックで。
コロナ前に最後に来たときはまだ健在だったけど、母親の介護とコロナが明けて青島を再訪した3年前にはもう姿を消していた…。

毛色がよく似てるんですよね。ユズ君もこんな色の子だった。
ちなみに「ユズ君」という呼び名はフィギュアスケートの羽生結弦選手から採った呼び名。イケメンでフォトジェニックだったから。
ひょっとしてユズ君の息子かい?(^^;






いいモデルさんしてくれました♪
ありがとうね。

もちろんお礼のカリカリはあげましたよ。
桟橋のそばに干してある海藻。わずか3人となってしまった島ですが、まだ漁の営みは続いています。

ふと岸壁から下を覗くと、浅瀬にはクラゲが。

今、猫たちの世話をしているのはこのKさん一人だけ。

2018年秋の一斉TNR受け入れを決断した時はつらかったそうです。でも「いずれ島に人がいなくなってしまう日が来る。そうなったら残った猫たちは…」という思いで泣く泣くの決断だったそうです。
Kさんが元気なうちは、この島の猫たちは安心して生きていくことができるでしょう。
最後の猫を看取る日まで…Kさんは猫たちを見守っていきたいそうです。



私が初めて青島に来たのはもう13年も前。その時はまだ人に知られた存在ではなかった青島。船も空いていました。ところがその翌年だったか翌々年だったかTVで「猫200匹の島」と紹介されるとドッと観光客が押し寄せるようになって週末になると船はいつも満員。島民の方々の生活にも支障が出るようになって。
それが猫の数が減った今となってはやってくる日本人観光客は減り静けさが戻って。島民の方々にとっては落ち着いた生活の日々が戻ってきました。
あの頃、マスコミが喧伝した「猫の楽園」という言葉。私はその言葉が大嫌いでした。
どこが楽園なものか…あまりに狭すぎる島、始終テリトリー争いのケンカが絶えなかったし、自分の子孫を残したいがために他の雄猫が産ませた仔猫を食い殺して母猫を再び発情させようとする「仔猫殺し」も日常茶飯事でした。かつて島民が100人単位でいた頃はほとんどが飼い猫だったこともあって人によるコントロールもできたそうですが、13年前ですら島民の数は18人、それから15人、11人、6人と減っていき、今は3人。
Kさんたちは全頭の避妊去勢を決断した理由の一つは、世話する島民が減少してしまったことの他に「そんな残酷な光景をもう見たくない」と痛感したからだと言います。かつてはご自分の家の軒に生まれた仔猫たちを集めて世話をされておられた方だったんですよね…。
せめて島民が健在なうちに平和に猫たちが生きて一生を終えられる島にしたい…そのためには全頭TNRしか道はなかったんです。
その事情を知ってる人がどれだけいるんだろう?
ただスマホやカメラをぶら下げて猫を撮って「わ~、かわいい」とはしゃいで帰っていく人たちには意識の外でしょう。
あと何年だろう…。一年でも長く、島の人たちと猫たちがこの島で安らかな日々を送り続けてほしい。





そろそろ帰りの船の時間。
猫たちに名残を惜しみながら、ゆっくりと桟橋へ。





また来るよ。元気でいてね。