ねこたび日記

2024年5月12日(月)雨 松山 
朝からどんよりと曇ってました。まだ雨は落ちてこないけれど、予報では昼前から本降りになるらしい。
波高予想も今日は一日伊予灘は1.5m~2mの波ということなので少なくとも青島は欠航確実。睦月なら船は出るだろうけど、本降りの雨となるのがわかってて行くのも…ということで今日は島に行くのは断念。一日松山でのんびりすることにしようと昨夜の時点で決めました。雨天コースということで。(^^;
長い日程の旅をする場合、必ずどこかで雨の日が混ざります。手持ちの時間に余裕がないなら仕方ないですが、余裕があるのなら日程に「予備日」を持たせておいたほうがいい。猫撮影にせよタンチョウ撮影にせよ、私は常に2日程度の予備日をスケジュールに組み込んでいます。特に島めぐりとなる猫撮影の場合は雨は降らなくても風や波で船が出ないということもあるので、そうしたときには代替のコースをどうするかを常に考えています。時間の限られていた現役時代だとなかなかそうはできなかったですが、今や「毎日が日曜日」?なんですから硬直した予定を組む必要などありません。
今回の旅、全部で12日間なんですが、ぎゅっと詰め込んでしまえば8日間で回れる行程です。つまり予備日は4日ある。もし全部晴れたら?その時はその分一日多く楽しめばいいだけ。
松山で使える日程は羽田からの移動がある初日を別にすると4日間。行きたい島は怒和島・青島・睦月島の三つ。一日余裕があります。怒和島は昨日行ったから、残りは青島と睦月島。まだ明日明後日があります。
ということで、ゆっくりとホテルで朝食をとり、それからおもむろに外へ。市電で道後に向かいます。
温泉街入り口のからくり時計を見て、
まず温泉で朝風呂♪としゃれこむつもりでしたが、まだ雨が落ちてきてないのでまた石手寺まで散歩。道端にはところどころに句碑が。

「秋日和 子規の母君 来ましけり」 虚子

「砂土手や 西日を受けて そばの花」 子規
松山で時間があると、私はいつも正岡子規の足跡を訪ねて歩きます。
以前から何度も書いていますが、私は子規に傾倒している人間。彼の主張する「写生」の精神というものにすごく共鳴するものがあるんですよね。
俳句も和歌も、その十七文字もしくは三十一文字を読んですぐ目の前にパッと情景が浮かぶようじゃなければだめだと。言葉の遊びは必要ないと。
「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」
「歌よみに与ふる書」の中で子規は、当時多くの歌人が「聖典」のように尊んできた古今和歌集を「くだらん集」とこき下ろしています。古今の歌の多くが技巧のみに走って聞き手の喝采のみを期待したものばかりで、言葉の遊びにうつつをぬかして文字をもて遊んでいるだけだ、と。
歌聖とまで言われた紀貫之に対しても「下手な歌詠み」とバッサリ。(^^;
「『去年とやいはん今年とやいはん』といふ歌が出てくる、実に呆れ返った無趣味の歌に有之候。日本人と外国人との合の子を日本人と申さん外国人とや申さんとしゃれたると同じことにて、しゃれにもならんつまらぬ歌に候。この外の歌とても大同小異にて駄洒落か理屈っぽい者のみに有之候」
ここで論じてるのは古今集冒頭の一首についてですが、要するに「ダジャレ」も「屁理屈」も和歌には必要ない、と言ったわけで。
子規は「万葉集」の素朴さを愛したのでした。
その返す刃で子規は俳句に関しても俳聖と言われた松尾芭蕉への評価を「優れてはいても崇拝すべきものではない」と言い切っています。
「五月雨を 集めて早し 最上川」
「奥の細道」で有名な一句ですが、これも子規に言わせると「集めて早し」というのは「言葉の遊び」になるらしい。
それよりも、
「五月雨や 大河を前に 家二軒」
という蕪村の句のほうがはるかに絵画的な実感があって優れている、という。
要するに「写生」。見たものを見たままに表せということ。余計な言葉の飾りはいらない、読んだものがぱっと目の前にその情景が浮かぶようでなければならないと。
当然、この子規の主張には当時主流の歌人俳人からはごうごうたる反論が起こりましたが、子規はそれにいちいち相手の息の根を止めるような言い方でさらに反論していました。ここまで言うか?というほどに。まあ、この話は書いていると長くなるので…。(^^;
でも私が子規のその姿勢に傾倒しているのは、写真も同じだと思っているからです。
写真というのは誰が見ても、つまりカメラや撮影技術を知らない人が見ても「いいな」と思える写真が本当の「いい写真」であると私は信じています。ところが昨今は一般の人が見ても「何これ?」と首をかしげてしまう作品がある。そしてそうした作品が一部写真家の間でもてはやされていたりする。「わかる人だけわかればいい」「素人にわかってもらおうとは思わない」「写真を知ってる人ならこの作品の良さがわかる」などと平気で言うヤツがいる。あえて誰と誰と誰だとは名前は出さない(「K」とか「N」とかね)けれど「プロ」と自称する人間にそういう傾向がある。
それっておかしいでしょ!
「写真」というのは読んで字のごとく「真」を「写す」もの。
だから見た人がパッと「あ、これは〇〇だ」とわかるものでなければいけない。そうでしょ?
それを、ヘンな技法に走った挙句にいちいち説明しなきゃわからないような作品なんて「写真」じゃない。「ついてこれない人は置いていきますよ~♪」という作者の傲慢な態度があからさまにわかる。
いちいち「るる」説明が必要な写真なんか写真じゃない!
これが絵画なら「前衛的作品」ということで認めよう。しかし写真にそんなものは認めない。少なくとも私は。いや、多くの人が認めないでしょう、一部の独善的な写真家を除いて。いや「写真家」とはあえて呼ぶまい。「カメラ遊びのオジサンたち」だね。(^^;
そうか、あれは「写真」じゃなくて「カメラ遊び」なんだ♪
うん、それなら私も納得するけど。
はっはっは。こういうことを書くから私は同業者に敵が多いんだろうなぁ。(^^;
ある意味、子規とそっくりだ♪
まあそうは言っても価値観は人それぞれ。自分が「これがいい」と思うやり方をするのはいい。
自分のやり方が一番と自分で思うのはいいけれど、でもそれを以て一段高いところから人を見下ろすような姿勢はとらないほうがいいと思いますよ。
石手寺。
晴れていた昨日とは違ってしっとりした緑の中に佇んでいます。こんな風情もいいですね。

四国八十八箇所第五十一番札所。
雨模様の早朝ということもあって参拝者はほとんど見ませんでした。

そういえば去年は弘法大師(空海)生誕1250年だったんですね…。

再び来た道を引き返し、道後公園へ。ポツポツと雨が降り出しました。
ここは戦国時代前期に河野氏によって築かれた湯築城の跡です。かつての堀には今は睡蓮が。

キショウブも。

このころから雨が本降りに。予報より早いな。(^^;

ちょっと市電を撮って…。

道後温泉駅で「坊っちゃん列車」の発車を見送ってから、
道後温泉本館へ。もう9:30過ぎ。ちょっと遅めだとけど朝風呂。
一時間ほどまったりして「ととのった」ところで、傘をさして再びそぞろ歩き。道後公園そばにある「子規記念館」へ。

現在改装中ですけど、見学はふつうにできます。

こういう記念館や博物館ってせっかく近くまで来ても撮影に時間をとられて寄れないこと多いですよね。そういう意味ではこんな雨の日にじっくり訪問するのもいいかもしれません。

子規については「坂の上の雲」や随筆「仰臥漫録」「病床六尺」などでその生涯を断片的に知っている私ですが、やはりこうした記念館の資料などを見るとさらに身近に感じられます。
記念館を一時間ほど見学した後、市電でJR松山駅に向かいます。3日後の15日の朝に列車で多度津に移動することになるのですが、その特急券と乗車券を買っておかなきゃならない。
「そんなのネットで買えるでしょうが」と言われそうですが、今回に限りそうはいかない。というのも今回は帰路は飛行機ではなくてJRで大宮まで帰るつもり。それも京都から日本海回りという変則コースで。ネットではこんなひねくれた経路は出てきません。
「みどりの窓口」の係員のお姉さんも面食らったみたいで、必死に時刻表と首っ引きでルート確認していました。5分ほどの悪戦苦闘ののち?できあがった切符がこれ。

経由地が印刷しきれずに手書きで書き足しているという…。
15日から21日までの通用7日間。行程の最終日は21日にしてあるからドンピシャです。
もちろん特急券も無事購入。

これで帰路の移動手段は確保。
気が付いたらもうお昼。駅に併設されてるカレー屋さんは満席だったので、市電で大街道へ。今日はアーケードの牛丼屋で軽く済ませることに。
今日は雨はやみそうにありませんね…。
停留所から歩いて5分ほどにある
「坂の上の雲ミュージアム」へ。

「坂の上の雲」は司馬遼太郎の長編小説。TVドラマ化されましたからご存じの方が多いでしょう。
明治維新後日清・日露戦争の時代を生きた伊予出身の秋山好古・真之兄弟と正岡子規を主人公とした物語です。日露戦争というものが大きな題材となっていて、その戦闘描写は特に細密に描かれています。だから原作となるとちょっと読みにくいと感じる人が多いかもしれませんね。

戦艦「三笠」の模型もあります。
当時の双六。小学校入学から高等科卒業までを双六にしたもの。明治は立身出世主義の時代。それがこの双六にも色濃く反映されているような。

新聞連載時の紙面も並べてありました。

この小説、私が初めて読んだのは中学の時です。父親に「お前にはまだ難しい」と言われながらも完読。もともとは日露戦争特に日本海海戦の詳細を知りたくて読み始めたんですが、実際に読み始めてみると主人公となる秋山兄弟とともに正岡子規の印象がすごく強い。子規は物語の前半で姿を消すんですが、それでも私はこの小説が子規に傾倒するきっかけになったと言っていいでしょう。終章の「雨の坂」の中で秋山真之が子規の墓を訪れるシーンがすごく印象的で…これはTVドラマでも描かれていましたね。
子規は自分の墓誌を自分で書いたという。それは自分の出自と家族と職業と月給の額を簡素に書いたものでした。
その時友人に託した手紙ではこう言ってます。
『アシハ自分ガ死ンデモ石碑ナドハイラン主義デ、石碑立テテモ字ナンカハ掘ラン主義デ、字ハ掘ッテモ長タラシイコトナド書クノハ大嫌イデ、ムシロコンナ石コロヲ転ガシテオキタイノヂャケレドモ、万一已ムヲ得ンコトニテ掘ルナラ別紙ノ如キモノデ尽シトルト思フテ書イテミタ。コレヨリ上一字増シテモ余計ヂャ』
子規に傾倒している自分としては、私の墓もそれでいいかな、と。(^^;
館内ホールから見えるのは昨年も行った萬翆荘。雨にけぶる姿もいいですね。

その萬翠荘へ。すぐ隣ですから。
雨にもかかわらず見学者はけっこう来ていました。この日は「バラ展」があったんですよね。
私は萬翆荘本館には入らず、その横手へ。

満開のつつじの花を見ながら、
「愛松亭」へ。
かつてここには夏目漱石が下宿し「愚陀佛庵」と名付けた建物が移築されていた(かつては別の場所にあった)のですが、2010年7月の大雨で倒壊してしまいました。
今、その場所に「漱石珈琲店・愛松亭」があります。

中に入ると…、

看板猫の「坊っちゃん」と「マド」がお出迎え♪

この二匹、お天気がいいとお店の外に遊びに行ってしまうこともあるので、むしろ今日みたいな雨の日のほうが会える確率は高いかも。
この子たちに会いたくてこのお店を訪れる人も多いです。私もその一人ですが。
猫たちを見ながらいただくコーヒーは美味しい♪

この子たちはなかなかのフォトジェニックで、いいポーズとってくれます。

絶対自分はモデルだっていう自覚あると思う。(^^;

後ろに見えるのは夏目漱石の肖像写真です。
そういえば、夏目漱石も猫好きだった…かも。デビュー作がこれですからね。

今回の旅のお供に持ってきてます。(^^;
愛松亭で小一時間ゆっくりした後…もう14時を回ってる。今日は早めに宿に帰ろうか。
その前に…また道後温泉へ。(^^;
え?朝行っただろうって?
いいじゃないですか。私、温泉マニアですから♪
一昨日と今朝は本館のほうに行ったから、今日は新館の「飛鳥乃温泉」にしよう。

ゆったり湯に浸かって、広間で休んでお茶飲んで…。
16時過ぎ、道後を出てホテルへ。
この時間が一番雨激しかったかな…。

早めに戻って部屋でマッタリTVを見て。
部屋の窓から見る市電通り。

明日は雨は上がるという予報だけど…風と波がどうかな。
Back Home Next