港を通り越してやや緩い坂を登ると道は二手に分かれます。去年の5月は左側の道を進んで山道を登って上から丸子鼻を見下ろす写真を撮ったのですが、今年は北海岸をゆっくり歩いて本州側の海を見ながら歩いてみようと思いました。
トンネルをくぐって…。
確か去年はここでちょっと海を見てまた引き返して山道に行ったんでしたね。ほんとうにここの海はきれいです。風景写真家のBさんがハマってるのもわかる。
沖縄の海かと見まごうほど。
海沿いの道をゆっくりと歩きながら。
こちら側にもあちこちにみかん畑。
怒和島はレモン栽培でも有名ですが、素人目には花の時期はみかんとレモンの区別がつきません。(^^;
ただここも瀬戸内のご多聞に漏れず、イノシシが出ます。瀬戸内の島ってクマは出ませんけどイノシシがやたら多いんですよ。
イノシシ除けの電気柵。
そして獣ワナ。
島の方によると最近は電気柵突破するイノシシもいるそうで、(・・;)
島の人口が減って、特に若い人が少なくなってきているだけに対策にも限界があるとか。本土から実習かねて応援で来てくれる農業高校の生徒さんなんかもいるんですが、あくまでスポット的な応援ですしね。
岬の右に顔を出している陸地はお隣の津和地島。忽那諸島の最西端にあたる島です。右にやや霞んで見えるのは鹿島かな。あちらはもう広島県。
ちなみに忽那諸島、津和地や怒和では言葉も微妙に伊予言葉とは違うそうです。本州側との行き来があったからでしょうね。
あの船は…どこに行くんだろう??
ちょっと日陰に入って昼食。そばでは白い花が見下ろしていました。
少し雲が出て海ももやってきました。天気が崩れる前兆…。
元怒和集落近くまで来ると、岩陰から現れたのは、
自衛艦。
艦番号4202。護衛艦ではありません。訓練支援艦「くろべ」。第一海上訓練支援隊所属。呉を定系港としています。「訓練支援艦」というのは海上自衛隊の主として対空射撃訓練に際して無人標的機のコントロールを行う艦で現在二隻が就役中。そのうちの一隻です。
そう、ここは呉軍港もとい海上自衛隊の呉基地がすぐ目と鼻の先。かつて旧海軍連合艦隊の泊地であった柱島は津和地島のすぐ裏にあります。
岩陰から現れた艦影を見て、なぜか映画「連合艦隊」のオープニングを思い出してしまった。(^^
おお、マストに旭日旗が!(あたりまえだけど)
真横を通り過ぎる姿を見て思わず脳内に軍艦マーチを流して敬礼してしまった私でした。(^^;;
元怒和の集落。
お昼を過ぎたばかりということもあってか静かでしたね。
ほとんど歩いている人はいません。
農業倉庫の壁にはこの時期のみかん栽培についての注意事項が。農薬散布についてかな。
集落の規模は上怒和と同じくらいですが、「元」という名がついているだけあってかつては本州側に近いこの港がメインだったのかもしれません。
それを物語るように、長屋門を構えた民家が並んでいます。
かつては本州との交易で財を成した人が多かったとも。
元怒和にも猫はいるんですが、かなり気温が上がってしまっていたので皆家々の軒間に入り込んでしまったのでしょう。一匹も見かけませんでした。
少し休憩してから再び歩き出します。緩い坂を超えるとすぐに島の反対側へ出ます。
30分ほどで上怒和集落に戻ってきました。
集落内に入ると猫たちがまったりと。(^^;
今、上怒和にいる猫は全部で20匹ほどだそうです。かつてはもっとたくさんいたそうですが、2018年の西日本豪雨の際に上怒和で大規模な土砂崩れが起こりそれを契機に島を離れた人もいます。それと猫とがどう関連しているかはわかりませんが、その時以来猫の数は半減しているそうです。
帰りの船まで一時間を切りました。
朝の堤防に行ってみると…。
またどこからか姿を現した猫たち。
しばしモデル撮影会。(^^;
この茶トラ君はなかなかのフォトジェニックでした。
朝とは違って光が順光になっているのですが、空が曇ってしまって海の色は出ません。つい数時間前までは青い色が見えたのに。私は島の反対側に行ってましたからね。
そう、天気は下り坂。明日は雨だろうな…。
水を恐れない。さすが島猫。
14時を回った。そろそろ港に行かないと。
「もう帰っちゃうの~?」
ごめんね、また来るから。今度は秋に。元気でいるんだよ。今日はありがとう!
14:16発のフェリーで松山へ戻ります。
途中、津和地・二神・神浦・釣島に寄港して三津浜着16:25。二時間ちょっとののんびりした船旅でした。
さあ今日は…「もぶり飯」でも食べに行きましょうかね♪