ねこたび日記

2024年3月21日(木)続き 
お昼を回ったので、港のそばにある食堂で昼食。
ちょっと体を休めたところで、また港の猫たちを撮影。

太陽が真上に来てけっこう気温が上がってきたのですが、海風のせいか暑さを感じませんね。。
港にはこんな樹が。ほとんどハート。

これはアコウの樹。樹齢100年を超えるものですが、島では「あこうさま」とも呼ばれています。
その形から、恋の願いを叶えてくれるとも言われていて、この樹を目当てに訪れる人もいるとか…。
港のそばにある猫地蔵??(^^;

「猫神様」って書いてありますね。ますます田代島と似てる。

神様はあちこちにおわします。(^^;

爆睡。

さて港の観光案内図を見ると…、

坂道を上がった諏訪神社のあたりも猫が多いらしい。行ってみましょう。けっこう急な坂道を登ること5分ほど…。

湯島で唯一の神社だそうで。長崎諏訪大社から分霊奉祀されたそうです。

狛犬の裏側を見れば…「紀元二千六百年」、つまり昭和15年に奉納されたものであることがわかります。

狛犬ならぬ「狛猫」がいましたが。(^^;

確かにこのあたりも猫多いですね。最初は上の一匹だけだったんですが、私が行くとあちこちから顔を出してきて。(^^;

この二匹は親子かな??

せっかくここまで来たんだから、山の頂上まで上がってみましょう。諏訪神社からさらに歩くこと15分。
島の頂にあるのが「峯公園」。案内図では「峯」公園となっているのに現地の表記は「峰」公園となってますが。(^^;

談合嶋の碑。

湯島は別名「談合島」という名で知られています。
徳川幕府が成立して間もない寛永十四年(1637年)に起こった島原の乱。過酷な領主の重税に耐えかねた島原・天草の領民はついに大規模な反乱を企て、益田四郎時貞(俗にいう「天草四郎」)を総大将に据えてこの湯島で決起の計画を練ったと言われます。その時作戦会議=談合を行ったのがこの場所だそうです。

一般的に島原の乱はキリシタンの反乱と思われていますが、純然たる大規模農民一揆でそれにキリシタンが加わったというのが実相です。
間近に島原半島が望めます。この日はちょっと霞んでいましたが、ひときわ高いのは雲仙普賢岳。

峯公園から港に戻って来る途中で、また猫たちに会いました。

この二匹は親子でしょうか。お母さん猫、まるまるお太りで。(^^;

あれ?こっちも親子?

授乳してますね。もうかなり大きい子なのに。

この島の猫たちは本当に幸せそう。
最初にも書きましたが、この島では島民の方が猫を非常に大事にしています。島民こぞって猫の世話をしている、と言ってもいいでしょう。
それだけでなく、定期的に地域起こし協力隊の方々が船で渡ってきて猫たちへのワクチン接種なども行っています。だからこの島の猫は健康そのもの。ちょっと具合の悪い子が出れば、船で熊本や天草本渡の病院まで連れていくんだそうです。

結果として猫も観光の目玉となっている面もあり、島の人たちをそれを肯定的に受け入れています。
こういう島になら、できるだけ食事やグッズなどでお金を落としていってあげたいという気になりますよね。

同じように猫を観光の目玉にしていた島に福岡の相島がありますが、あの島の場合は猫で観光客を呼び込んでグッズまで販売していたくせに、肝心の猫たちはやせ細っていて充分な世話をされているとはとても思えない状態でした。一度行きましたが、その猫たちの姿を見て再訪する気が起こらなくなりました…あまりにかわいそうで。人間の欲に利用された猫、のように見えてしまって。相島は「世界六大猫の聖地」のひとつに選ばれた島ですが、あれのどこが「猫の聖地」だろうと。選者の神経疑いたくなりましたから。
この島ではそんなことはありません。

港には熊本県知事選挙のポスター掲示板が。

その奥にあるのはネコハウス。
こうしたネコハウスが島内の各所にあるんですよね。

歴史好き&猫好きの私にはたまらない島でした。(^^;

帰りの船の時間になりました。
実は島内には民宿もあるんですが、今回は「タダ」につられて?熊本に宿をとってしまったので、いたん熊本に帰って明日また出直してくることになります…よく考えればもったいなかったなぁ、と。
次回来るときは島に泊りたいですね。

明日は朝一番の船で来ようかな。
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