ねこたび日記

2023年11月21日(火) 続き 
島の西側の集落は今は無人。
かつては島全体で800人もの人がいた青島。この奥にもかつては人が住んでいましたが今ではすっかり廃屋に。

そこにいた一匹のハチワレ猫。オスです。
実はこの子だけ、去勢されてないんですよ。一斉TNRの時最後まで逃げ回り、結局去勢を免れた子。とは言ってもメスは全て避妊手術を受けてしまいましたから相手はいないんですが…。
ずっと追い回されたせいか警戒心が強く人が来ると姿を隠すと言われてましたが、どうやらもう捕まることはなさそうだとわかってきたのか、今は私が近くでカメラを向けても逃げません。

誰が名付けたか、その名は「ウルフ」。
まさに一匹狼です。
「何か文句あるか?」とでも言いそうな不敵な面構え。
そのくせしっかりカメラ目線でポースとってたりしますが。(^^;
写真は撮らせてくれるんですよね。
でも毛並みはいいんですよ。かなりオス猫の間でも力関係では上位にいると思われます。去勢されたオス猫たちに比べるとやはり強いのかな。
無人となった家並みを抜けて、突堤に向かう小道を見れば…

コンクリートに刻まれた猫の足跡。いつの日かこの島が無人島になってもこの足跡だけは残ることでしょう。
朝の船で一緒に来た台湾の人たちは、猫がたくさん集まっている青島神社の下あたりにずっと居っぱなし。さすがに初めてだと時間を持て余すのか、ベンチで居眠りしてる人もいました。
私はあちこちブラブラしながら猫たちと遊んだり写真を撮ったり。

気が付いたら後からついてくる子もいたりして。

一代限りとなった猫たち。もう子を設けることもないけれど、ある意味彼らは「解放された」という面もあるのかもしれません。
少なくともメスをめぐって争うこともないし、子殺しの悲劇ももう起きない。日々「食っちゃ寝」だけの生活。
ほとんどが空き家となってしまったこの島では彼らは寝床には不自由しないでしょう。

田代島や佐柳島のようにボランティアさんや島民の方々が医療的ケアまでしてくれる環境ではないけれど、これはこれで幸せなのだと。

青い海の向こうに四国本土の山並み。
ここから本土までは直線距離にして8km。にもかかわらず、こうやって四国山地の山並みがくっきりと見える日はあまり多くありません。暖かい伊予灘、濛気が立つことが多いから。

「青島の盆踊り」の碑。
青島には江戸時代から伝わる盆踊りがあります。最初の島民となった播州赤穂出身の漁師が始めたと伝えられ、赤穂四十七士に扮して踊ると言われています。10年くらい前までは毎年8月の旧盆の時期に行われていたそうですが、島民が少なくなり帰省してくる人もほとんどいなくなってからは行われなくなってしまいました。

こうやって見ると、船の数も減りましたね…私が青島に通い始めた頃は10艘ちょっとの船が港に舫われていたんですが…。

朝の漁の後、お魚のご馳走を求めて猫たちが群がってきたあの頃の風景…今は昔語りなのかな。
いやまだKさんが漁に出てるはずだから、今でも時折あるのかな、あってほしい。
下の2枚の写真は今から6年前、2017年10月のものです。

かつては桟橋付近を縄張りにしていた子も多くて常にここに来れば10匹前後の猫がいたものだけど、今はこの通り。

東側集落のほうに入っている子が多いからなんだけど、それでも昔は真昼間でもこのあたりにたくさんたむろしていました。

15:05。午後の船が入ってきました。この船でやってきた観光客は6人。かつてに比べると驚くほど少ない。
朝の便は10分ですぐ長浜に引き返しますが、この夕方の便はここ青島で1時間10分ほど停泊してから長浜に折り返すので日帰りの人はこの夕方の便で来る人が多かったんですけどね。まあ、本当の猫好きでなければ7時間40分という時間は持て余すでしょうね。お店も自動販売機もない島だから。

かつては平日でもこの午後の船が来ると人が多くなるので、私はいつも人の来ない突堤先端のほうに行って猫たちを撮っていたんですが、今は午後の船で来る人も少ないのでのんびり港のこちら側で猫たちの姿を撮ることができます。

人が来なくなった青島…それはそれで静かでいいんだけど、さっきも書いた通り、やっぱり寂しい。
でもこれは、青島に限ったことなんだろうか?ひょっとして今日本全体が、そんなフワフワした風潮に乗ってしまっているんじゃないでしょうか。

自身のインスタに「映える」写真を載せて「いいね」の数を競ったそのすぐ後には違うモノを追っかけて夢中になる。そうかと思えば「今これがトレンドだから」とか言って、それまで何の興味もなかったものに手を出す。それが悪いとは言わない。
でも、君はそれが本当に好きなの?好きなモノなの?
ひょっとして「トレンドに乗りたがる」っていうのは…自分に自信がないことの裏返しなんじゃないだろうか、と私は思うんですよね。そうしないと自分が世の中から置いて行かれるような不安感の現れなんじゃないだろうかと。本当に自分がやりたいことは何なのか、自分が好きなものは何なのかを見失っているんじゃないの?
「SNSで評判になったから」と言って、わざわざ行列のできるお店に行って料理を味わいに行く。本当にその料理が食べたかったのか、というと「いや別にそういう訳じゃないけど、あのお店に行くってこと自体がトレンドだから」って…私には理解できない、その感覚。
恋愛でさえそう。今の若い人の恋愛は(全てがそうとは言わないけれど)「遊びの延長」にしか過ぎないことも多い。「元カレ」やら「元カノ」やら「前カレ」やら「前カノ」やら…なんじゃそりゃ!…ただの「恋愛ごっこ」じゃないの?それって。
そりゃ恋愛遍歴はあっていい。でもそれを公然と「元カレなのよね~」なんて平然と言ってのける神経がわからない。本来隠そうとするのがマトモだと思うけどね。
さらには、コロナ過で猫や犬を飼う人が増えたけど、コロナがある程度落ち着くと「もう要らない」って保護施設に預けたり、ひどい人は捨てたり…それに罪悪感を感じるどころか「いや別に一時の退屈しのぎに買っただけだから。何が悪いの?」とTVのインタビューで平然と言ってのけるヤツがいる。

それこそ日本国民全員に問いたい。
「あなたの大切なものはなんですか?」
「あなたの本当に好きなものはなんですか?」
ひょっとすると、こういう答えが返って来る人も多いんじゃないでしょうか。
「大切なものなんか、ないんです」
「持ってないから寂しいんです」
「なんだか忙しい中で忘れちゃってるから、誰かお願い、教えて、ここに持ってきて」
「大切なものなんかなくてもいい。今が楽しければそれでいいんだから」
そう言って心の中であがいている様子が、泣いてる様子が、透けて見える人が多いような。一見はしゃいでいるような言葉の裏に。
自分に自信を持てない人が多くなってしまったんじゃないかな…。

人間、もっと素直にならないと。他人の目を気にすることは必要だけど、流されちゃダメだ。
自分を見失って気が付いたら周囲に振り回されているだけだった、というのは寂しすぎるよ。
私がなぜ猫の写真を撮っているのか…もちろん猫が好きだから、というのは大前提だけど、なぜか猫たちと相対していると素直になれるんですよ。
猫たちには噓もない、忖度も気遣いもない。お世辞を言うこともない、わかりきったリクツを並べることもない。ただただ思ったままに人間を、見たモノを素直に見つめる瞳がある。だからこちらも素直になった時にだけ初めて心が通じる。ファインダーの向こうでピッと来るものがある。

猫は…写真を撮る時には思惑通りにならないこともある。いやその方が多い。だからその「思惑」を消してしまえばいい。
逆説的なようだけど猫の写真を撮るためには「写真を撮ろうと思わないこと」。これに尽きると私は思ってます。
一対一で対等な立場に立った時、初めて自然ないい写真が撮れる。

だから…素直になろうよ。

トレンドを追い回すのもいい。でも自分が本当に好きなモノだけは見失わないでほしい、そう思いますね。

帰りの船の出航時間がきました。

また来るよ。それまで元気でいてね。
島民5人、猫60匹となってしまった青島。でもこの島に人と猫がいる限り、今後も私は日程の許す限り通い続けることでしょう。
明日は早朝の特急で多度津へ。佐柳島に向かいます。
第二部「佐柳島」に続く
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