ねこたび日記

2023年5月18日(木) 晴れのち曇り夕方雨 
朝4:30過ぎ。部屋の窓を開けてみた。
風はほとんどありません。東の空はもうほの明るくなっている。上空に薄い雲は漂っているけれど、なんとか日の出は見られそうだな…。

鈍色から虹色に徐々に変わっていく海の色。広島の島影がだんだんはっきりしてきます。
ホステルの入り口を出ると目の前に堤防上で体を休めている猫が二匹。どっちもホステルの子ですね。
温暖な瀬戸内といえどもこの季節の明け方はやはりそこそこ冷えます。今の気温14℃。私も上着なしでは寒い。これで晴れた日は日中26~7℃まで上がるんだから気温差ハンパじゃないですよね。だから猫たちも冷えた体を太陽の光で温めるために風のない日は堤防上に出ていち早く陽を浴びようとする子がけっこう多い。

東の雲がだんだん赤く染まってきた。
今日の日の出は高松基準で5:00ちょうど。おそらくここ佐柳では2分と違わないでしょう。
私はスマホのトップ画面にはあまりアイコンは入れない主義ですが、「全国の日の出日の入り・月齢と月の出月の入り」と「全国潮見表(干潮・満潮時刻)」だけは即見られるようにしています。というかネイチャーフォトやる人には必須なんで…。
この日、日の出の方角は65.6°ほぼ東北東。佐柳からだとちょうど広島のある位置から日が昇ることになります。

今日はこのお天気がどこまでもつかな…午後から雨の予報が出ています。
まあ、雨は雨で楽しめるんですけどね、この島は。

本浦のフェリー待合所にいる猫たち。おはよう!

朝日を浴びて、みんな行動開始!今日も一日が始まる。

まずはサラダバーで…朝一番の草は美味しい?

石垣の上に並んで太陽エネルギーを充填中♪

まだ充填率60%くらいかな?(^^;

「おはよう~」「おっは~!」あちこちで朝の挨拶。

この二匹は姉妹ですごく仲がいい。昨日から見てるといつも一緒にいる。体つきから見ると去年生まれの子かな。

で、懐っこい。二匹で私の後をついて来たリします。(^^;

で、この子たちのお母さんらしき猫を見つけたんですが、どうも子育て中みたいでこの二匹が近寄ろうとすると「あっち行ってなさい」という仕草をします。ということは、どこかに仔猫が…と気にはしていたんですが、昨日は見つけられませんでした。
でも今日は…。

見つけた!

こんなところで子育てしてたんですね。
仔猫はちょっとおっかなびっくり。まだ怖いのかな。
ちょっと私を警戒していたようだけど「大丈夫かな?」って感じでゆっくり出てきました。お母さんが「あの人は大丈夫だから」と言ってくれたのかな?

でも見たのは一匹だけ。普通、猫は一腹で4~5匹の子を産むはずですが、他の子はどうしたんだろう?

できるだけ仔猫を怖がらせないように距離をとって望遠レンズ片手にしばらく見ていたんですが、他の子がいる気配はありません。この子一匹だけ。
ということは、他の子は死んでしまったのかな…。
そう、これは島でも町でも同じですけど、生まれた仔猫が無事に二歳まで生き残る確率は2割強。残りの8割近くは何らかの理由でそれまでに命を落としてしまいます。このことは知らない人が多いですね。
その原因はさまざまですが、一番多いのはやはり病気。それも猫風邪ですね。
以下の話は私が懇意にしている獣医さんからの受け売りですが…猫は平均的に一度の出産で4匹の子を産みますが、その4匹全てが平均的な体の強さを持っているケースはさほど多くないそうでたいてい「強い子」と「弱い子」ができてしまうそうです。「弱い子」は母猫の乳もうまく飲めずにやがては衰弱して死んでしまうことが多い。それが1匹のこともあれば2匹のこともある。だから人間の庇護下にいない場合、たいてい秋までに子は2匹に減ってしまうことが多いそうです。さらに初めて冬を迎えると猫風邪を引く子が出てくる。飼い猫ならば飼い主が処置をしてくれたり病院に連れて行ってもらえたりしますが、純然たる野良猫の場合はまだ体が大人になり切っていない生後半年程度の状態で猫風邪にかかってしまうと致死率はなんと65%だそうです。
佐柳島…瀬戸内は温暖とはいってもやはり冬は寒い。島の人たちは猫たちにゴハンをあげてくれるけれど、残念ながら医療的ケアまではできない。
ここが田代島とは違うところですね。
そしてさらには天敵の存在。一番多いのは母猫が目を放した隙にカラスやトビに襲われるケース。稀にタヌキも仔猫を襲います。どちらも成猫相手には手を出しません(ヘタすりゃ反撃を食らうしね)が、生まれたばかりの仔猫をよく狙います。親猫も注意してはいるんですが、仔猫が4匹もいると思い思いの方角に遊びに行ったりして1匹を親が連れ戻しに行った隙に残りの子がやられてしまう、というケースが実に多いです。島の人も何度も目撃しているそうで、気が付いて追い払おうとしたときはすでに仔猫が突かれて死んでいた、ということが数えきれないほどあったそうな。
仔猫というのは本来生後1ヶ月近くなると親が心配するくらい社交的になるものですが、この子がひどく臆病なのはそういう怖い場面をその目で見てしまったせいかもしれません…。

もちろん、不慮の怪我で死んでしまうケースもあります。それと、他の雄猫による「子殺し」というのも稀にあります。
これは最近知られたことですが、雄猫は自分の遺伝子を残そうという本能が無意識に備わっています(これは他の動物も人間も同じですが)。そのため、時として他の雄猫が産ませた仔猫を食い殺し、その母猫を再び発情させて交尾しようとする(雌猫は子育て中は発情しませんから)ことがあります。この佐柳島でも何例かそういうことがあったそうです。

でもそれらを全部ひっくるめても、決して異常なことではないんですよね。
それが当たり前の自然の営みであり摂理なんです。猫も野生動物もなんら変わらない。
たとえば私がよく撮るタンチョウ。
タンチョウは一度に二個の卵を産みますが、タンチョウ生態の権威である正富宏之先生の著書によれば、その卵が孵化して生後10か月の幼鳥まで無事に育つ確率は17~27%です。
タンチョウは湿原では生態系のトップに君臨する鳥です(キツネでさえ成鳥となったタンチョウには勝てない)が、それでもヒナの時点でその8割近くが命を落とすんですよ。
それを「かわいそう」とか「残酷」とか「なんとかしてあげられないの?」などというのは本来の生存競争を忘れた人間目線の考え方。特に家に飼われた猫しか知らない人はそういう発想だけで思考停止してしまう。
そういう受難があるからこそ、猫も犬もキツネも一腹で4匹・5匹の子を産むようになっているんです。
ここ佐柳島では避妊・去勢ということは一部の飼い猫を除いて行っていません。
「避妊去勢したほうがいい」という考えの人、多いでしょうね。確かに青島のように世話をする島民がもういなくなってしまう、という状況であればそうでしょう。でもこの島は高齢化が進んではいてもまだ島を離れない60代の人たちもいるし、数年前から数は少ないながら本土から移って来る(と言っても年齢的には子育てが一段落ついた50・60代の人がほとんどだけど)人もいる。ときどきボランティアの人も来る。今のところ差し当って猫たちの世話で困る状況にはなっていません。

「でも、避妊去勢をしないと猫が手に負えないほど増えてしまうのでは?」と考える人も多いですね。
でも、言っちゃ失礼ですけどそれこそ
「愚者の浅知恵」です!!!!!
「ボ~ッと生きてんじゃねぇよ!」と言いたい。
なぜなら…。
今から半世紀前の昭和30~40年代。
あの頃、猫といえば飼い猫であっても放し飼いが当たり前で、しかも猫や犬の不妊手術なんてほとんどなかった時代。それでも「猫が手に負えないほどに増えた」なんてことありましたか?猫が増えすぎて町中が猫だらけになってしまった、なんてことが?
ないでしょう?
当然です。さっき書いた自然の法則によって個体数は一定になるようになっているんですよ。街であろうと田舎であろうと。毎年、生き残った仔猫とほぼ同数の老猫が死んでいくんですから。人間が余計な手を出しさえしなければ犬や猫が増えすぎてしまうということはないんです。
こう書くと、こう反論する人がいることでしょう。
「だって実際に東京でも大阪でも野良猫が増えて問題になっているじゃないか!だからどこも地域猫として避妊去勢をしているんじゃないか」と。
そういう人にあえて言います。「木を見て森を見ず」というのはまさにこのこと。
大切な視点が欠けていますよ。
東京でも大阪でも、そういうふうに野良猫が増えてしまったのは猫の側に原因があるんじゃない、人間側に原因があるということを。
何が原因か。カンのいい人はわかりますよね。
「捨て猫」の問題です。
かつて昔は東京でも大阪でも、猫といえば「もらってくる」ものでした。「どこそこで仔猫が生まれたから一匹もらってきた」といった具合に。だから当時は「猫を飼いたい!」と言っても親から「知り合いに猫飼ってる人いないからダメ」って言われた人多いはずです。猫も犬もそう簡単に手に入る時代じゃなかったんです。
もちろん昔から捨て猫の問題は多少あったけど、今みたいに爆発的に多いわけじゃなかった。だから昭和30~40年代の頃は「猫が増えた」なんて感覚は誰も持たなかったんですよ。
それが昭和末期から平成の世になって何が変わったか。「ペットショップ」という存在が雨後のタケノコのように出てきたんです。さらに国民の所得が増えてペットを飼うことが一つのステータスになってきた。もちろんそれ自体は悪いことじゃないけど、なかにはアクセサリー感覚で安易に犬や猫を飼う人が増え、あげく育てられなくなったり飽きたりすると安易に捨ててしまうということが急増したんです。ペットショップで誰でも気軽に猫を「買う」ことができるようになった。同時に「気軽に」捨てる人も増えたんですよ。さらに一部のペットショップやブリーダーにも悪質なのがいて、売れ残って大きくなった猫をひそかに捨ててしまうのもいたりする。
ここ佐柳島の人たちは、医療的ケアまではできないまでも猫たちを自分の子供のようにかわいがっている人が多い。決して自分の「アクセサリー」としてではありません。
それに比べて都会の人たちは…。

いずれにせよ、猫が「商品」となった時点で「生き物」ではなく「モノ」として扱われる時代になってしまった…。まだ昭和の人の方が倫理観があったと思う。「自分で世話できないんなら飼うな!」と親から言われた人多いでしょう?それがマトモな感覚です。でも今の親の中には子供が「ねえ、猫かわいいから買ってきて~」と言うと「ハイハイ」と二つ返事で「買って」きて、やがて子供が飽きると「じゃあ捨てちゃおうか」と平気で言うのがいる。それを異常なことと思わない親がいる。悲しいことです。そういう親に育てられた子供が将来平気で人を殺めるようになるんですよね…。
つまり昭和の時代と違って都市部では「捨て猫」という分母がとてつもなく大きくなってしまっている。
これが都市部で野良猫が増えた最大の要因。今でも捨て猫行為は後を絶たない。
避妊去勢をしないと猫が増えて仕方がないというのが真実ならば、なぜ野良猫問題が都市部だけに起き農村部では問題にならないのか?もしそうなら人口の少ない農村部こそ猫が増え過ぎたら困るはず。でも実際はそうじゃない。
「捨て猫」は都市部だけの問題だからですよ。
昔は野良猫といえば100%純然たる日本猫でした。ところが最近じゃ長毛の野良猫をあっちこっちで見ます。これはもともとペットショップから「買って」きた「外来種」の猫をあちこちで捨てているからそれが混血を繰り返した結果でしょう。今の「野良猫問題」はイコールそのままそっくり「捨て猫問題」であるということの何よりの証左です。
「捨て猫」さえなくなれば、都市部でも避妊去勢の必要性なんてさほどないんですよ。
このことを理解できない人、あまりにも多すぎる。

こうなってしまった現状では都市部での避妊去勢はある程度しなければならないと私も思います。
現に私も過去何回かTNRに協力したし、今可愛がっている子たちにも避妊手術をしました。誰の援助も受けず自費で。懐からは10万近いお金が出ましたよ。そのうちの一匹はいずれは自宅に引き取りたいと考えていますが、他の子は地域猫で一生を終えるでしょう。
また室内飼いとするなら避妊去勢をしたほうがいいというのも賛成です。そのほうが寿命が延びるのは間違いないし人馴れもしやすくなるから。
でもだからと言って「全ての」猫に避妊去勢をするべし!とは思っていません。
保護猫のNPO法人代表の方がある時、猫雑誌の巻末にこんなことを書いていました。
「いつか『昔は猫って外にもいたんだよ』と子供に言うことができるようになった時、私たちの仕事は終わります。その日を目指して我々は頑張っています」
…それでいいんでしょうか?
猫はペットショップで買って来る猫だけになるということ??あなたたちはそんな世の中を目指しているんですか?
「猫のため」と言いながらあまりにも人間目線でしかモノを考えていないんじゃないか、そういう気がします。
かつて町はいつも子供たちの歓声で賑やかだった。一歩路地に入れば石蹴り、なわとび、鬼ごっこ…どこでも子供が遊んでた。それが今は…「危ない」「うるさい」「じゃまだ」と言われて、外で遊ぶ子供がほとんどいなくなっちゃった。「大人目線」で子供たちを路地から追い払ってしまったんですよね。それで「よかった」と思ってますか?
子供たちの姿が路地裏から消えて久しいように、そのうち猫たちの姿もみんな消えて行ってしまうのかな?それで本当にいいの?
町に出れば犬も猫も子供もいない。カラスもスズメも飛んでない。通るのは人間とリードで引かれた散歩の飼い犬だけ。申し訳程度の植樹のほかは灰色の建物だけが並び、人の話し声もしない。すぐ隣に住んでいる人の顔も知らないし会話もしない…みんな、そんな無機質な町の姿を望んでいるんですか?
少なくとも私はそんな町には住みたくない。
避妊去勢というのは「止むを得ざる最終手段」なのです。それも窮余の一策といっていいでしょう。
本来なら人間が他の動物の数を調整するなどというのは神をも恐れぬふとどきな所業です。
猫に限らず、いかに多くの動物や植物に人間はその「ふとどきな所業」を繰り返してきたことか。エゾシカに至っては保護→捕獲奨励→保護→捕獲奨励ということを繰り返している…いつか人間という種族には巨大な天罰が下るのではないか、そんな恐れさえ抱きます…。
ある日突然宇宙人が攻めて来て圧倒的な科学力で地球を占領。
「人間が多すぎるから半分は殺処分して、残りは避妊去勢しよう」
なんてことになっても「自分たちがやってきたことだから仕方ないな」と諦めるしかないですね。苦情を言う資格はありません。因果応報ということです。
今から覚悟しておいたほうがいいでしょう…。
…ちょっと感情が先走ってしまいました。スミマセン。
でもこれは普段から心の中に抱えている思いなんです。読んでいてご不快だったかもしれませんがお許しください。

佐柳の猫たちを見ていると、そんな自然の掟にさらされながらも島の人と調和しながら生きているので、なおさら都会の猫たちがかわいそうに思えてしまうんですよね。

少なくともここの猫たちはさまざまな困難はあっても生を満喫しているから…。優しい島の人に見守られて。

朝のうちは晴れていた空も、だいぶ雲が多くなってきました。
浜辺を散歩しているキミは…?

ん?

あ、ゴメン、おトイレでしたか。(^^;

八幡神社も今日は強い日差しが当たらないから猫たちは居心地よさそうです。曇る時間が長くなってきた。

昼食を取りにネコノシマホステルに戻ります。

「おかえり~」
猫たちもお昼ご飯の時間。この入れ物、いいの使ってますね。これならケンカもしないで済みそう♪

食べ終わると腹ごなしに?

食事のあと、自分の部屋でちょっと食休み。窓を開けて外のゆるい風に当たります、気持ちいい。
でも東風ということは、天気が崩れる前兆。
まだ雲間から陽が漏れてはいるけれど、だんだん薄雲が広がってきているのもわかる。
朝に比べるといくらか見通しも悪くなってきてます。海上に濛気が出て来てますね。

午後は長崎に行ってみます。
とは言ってもホステルを起点にすれば歩いて15分。たいしたことはないですが。
ネコノシマホステルは本浦と長崎の両集落のちょうど中間点。つまりかつてのこの小学校はどちらからも生徒は歩いて15分かけて通っていたわけです。どちらかの集落の中にあったんじゃ「不公平」だからかな?(^^;
長崎に行く途中で横の林から出てきて堤防に乗ったこの子。

ニャーニャー鳴きながら寄ってきます。
餌が欲しいのかな、と思ってカリカリを置いてあげたけど食べません。
頭を撫でてあげるとゴロゴロゴロ…。ナデナデして欲しかっただけみたいです。(^^;
目の上あたりから耳の後ろくらいまでをやんわり掌で包むようにして撫でてあげます。これ、咲が大好きな撫で方なんですけど…まあ、猫ってここが快感ポイントのひとつですよね。でも同時にその場所は急所でもあるだけにめったに人間には触らせない場所でもあるんですが…私が「無害」だと察しているのか、それともよほどの甘えん坊なのか。
でもずっとここでそうやっているわけにもいかないので「またあとでね」と言って歩き出すとまたニャーニャー言いながらついてくる。

振り切って行っちゃうのもなんかかわいそうなので、何度か立ち止まってまたナデナデゴロゴロ。(^^;
おかげで、普通に歩けば15分で行ける長崎の港までなんと30分以上かかってしまいました。
長崎の港。

堤防沿いの道を歩くと、広々とした海が見える。
ここは道も広くなっています。海風に吹かれながらトコトコと歩いてくる猫が一匹。

気が付けば傍らに置いたバッグを抱えるように座っている茶白。(^^;

後には三毛さん。

茶トラもいます。佐柳島の猫は毛色多彩ですね。猫の数が多い割にあまりこれといった偏りがない。いろんな毛色の猫がいます。睦月島がやたら茶トラが多いことなどを考えると対照的かもしれない。その違いは何から来るのかはわかりませんが、島に入ってきたときの血統が多岐にわたっていたということなのかもしれません。

佐柳島の猫たち、基本的に避妊去勢はしていません、それはさっき書きましたが、生まれた仔猫が生き残って翌年大人になると近親交配が増えるんではないかと心配する人がいるでしょうね。
まあ、町でも田舎でも島でも多少は近親交配というのは起こるものですが、心配するほどの多さではないです。

仔猫がある程度成長すると母猫は雌猫は手元に残し、雄猫は自分のテリトリーから追い出しにかかることが多いです。これはおそらく近親交配を避けるために本能的に身についた行動なのかもしれません。で、追い出された雄猫は親のテリトリーを離れてあちこちでケンカをしながら自分のテリトリーを確立し、あるいは他の雄猫(兄弟猫のこともある)と共有して生きていくことになります。もちろん中には男の子を手元に残してしまう「過保護」な母猫もいないわけではありませんが、多くの場合は「オトコなんだから独り立ちしなさい!」というように生後8~9ヶ月くらいで突き放すケースが多いようです。雄猫が初めて発情するのが早くても生後9ヶ月ということを考えると妙に時期が符合するんですよね。
ある意味、タンチョウなどに見られる「子別れ」行動に似ている部分もありますね。
佐柳島の場合、過去10年ほどの間に私が観察したかぎりでは猫たちの共有テリトリー(「群れ」といったほうがわかりやすいでしょうか)がかなり細かく分かれています。
本浦集落だけでも乗蓮寺付近・集落南端(乗蓮寺と山路商店の中間)一帯・山路商店付近・港の南側一帯・港の桟橋付近・港の北側一帯(これは南北二つの群れに分かれているようにも思える)・八幡神社付近と最低でも7つのテリトリーに分かれています。さらにその北に行くとネコノシマホステル付近がやはりひとつのテリトリーで、長崎集落も5~6群に縄張りが分かれています。これらのテリトリーの形成には人がかなり寄与しています。というのも島の人が猫たちに餌を与える場所は以前からほぼ決まった場所なので、それを中心にテリトリーが形成されると言っていいでしょう。もちろんこのテリトリーは明確な境界線があるわけではなく隣接するテリトリーの猫同士が敵対しているわけでもありません。昼間などはけっこう行き来もあります。が、夜になると自分のテリトリーに戻る。
ただ、中にはどのテリトリーにも属さずに林の中などでポツンと一匹あるいは二匹で暮らしている猫もいます。そういう猫たちはゴハン時だけ一番近いテリトリーに顔を出すようです。さっき長崎に来るときに出会った猫などはそういう暮らしをしているんでしょうね。

母猫から突き放されて親のテリトリーを出た雄猫は、隣のテリトリーに入り、そこで受け入れられなければさらに遠くへ、という移動を繰り返してやがて定着する場所を見つける。これが佐柳島に限らず多くの島での猫たちの生態です。いや島だけでなく町猫の場合も同じはずです、なかには本浦から延々と長崎まで移って来た猫もいることでしょう。
ちなみに一般的に言って猫の共有テリトリーというのは島の場合平均的に半径50~100m程度と決して広いものではありません。(町猫の場合はさらに狭いでしょうね)
ですから近親交配の問題というのは少なくともこの佐柳島に限らず瀬戸内の島ではさほど心配する必要はないようです。
(ただ青島の場合はそうはいきません。島があまりに狭すぎるので…)
もっとも「近親交配」というと劣性遺伝子による弊害が指摘されていますが、その弊害が起こるのは個体群の数があまりにも少ない場合で、佐柳島のように猫の数が多く棲息面積も広いとなれば仮に近親交配があってもそれが代々続くということはあまりありませんから影響はほとんどないと言っていいでしょう。
余談ですが、日本の天皇家って古代は近親結婚繰り返しているんですよね。古代エジプトの王朝では兄妹の結婚が当たり前だったという…。だから時には劣性遺伝子のカタマリのような愚かな君主が出現する一方でとてつもない優秀な人物が出たりすることもあった。優性遺伝子が重なるということもあったのかな。

長崎の墓地。以前にも説明したことがありますが塩飽諸島、とりわけこの佐柳島では古代以来の「両墓制」による墓地があります(本浦にもあります)。「埋め墓」と「詣り墓」を別に作るものですが、風習として現在でも両墓制を維持しているのは全国でもこの佐柳島だけだと言われています。

お盆になると全国から里帰りする旧島民が集まるお墓。その時はここも賑やかになるそうです。
ちなみに10月の三連休には八幡神社のお祭りがあって、その時には「船渡御」という勇壮な儀式も行われます。一度見に行きたいとは思っていますがなかなか日程が合いません。

しばしここでのんびりと猫たちと過ごします。
空はだいぶ曇ってきました。でも「午後から雨」という予報の割にはそこそこお天気持ってくれていますね。

本浦に引き返します。港の手前まで歩いてくる頃にはかなり雲が低くなってきていて…そろそろ降り出すかな?

この後、神社の横で一休み。

見れば、猫たちに餌をあげている女性がいました。大きなカリカリの袋をかかえて。
この島では猫たちへの餌やりは自由です。道の上や家の前などでなければ問題ありません。しかし、のべつ幕なしに与えるのは感心しませんね。猫の中にはあげればあげただけ食べてしまう子もいます。そうすると後で吐くようなこともある。猫の体にとって決していいことではありません。餌やりは節度を持ってしてほしいものですが、どうしても「餌をあげれば猫が懐く」と勘違いしている人が多いようで行く先行く先で餌をばらまいている人がいるんですよね。正直言ってあまり感心しません。
そんな女性の動作を見ていたら、背中から
「草凪みかんさんですよね?」
と声をかけられました。振り返ると一人の男性。はて、どこかでお会いしたかな…?
「しまじろうです」
あ!…。
しまじろうさん。以前からホームページ上で交流のあった方です。
なんでも昨日から同じネコノシマホステルに同宿していたようです。昼食時に私のスマホに貼られたステッカー(「C11190」)を見て、私だと確信されたそうで。(^^;
この方も島猫探訪歴が長く(たぶん私より数倍長いと思う)、撮影スタンスは私とよく似ていてブログ拝見しても共感できることが多い方でした。
いやここでお目にかかることになるとは…ちょっと嬉しかったです。
さて時刻は14:50。多度津を出た午後の船が本浦に入って来る時間です。

前述したとおり、この船はこのまま長崎まで行き折り返して再び本浦経由で多度津に戻ります。
山路商店。ちょうどこの時間はお店はお休み。おばあちゃんは桟橋でキップ売り。この子はお留守番。

曇っててもゴロゴロ♪

この二匹、夫婦のようですね。いつも一緒にいる。

子作りに励んでいるようで。おきばりやっしゃ!(^^;

あるお宅の庭先です。毎年ここはきれいな花が。
でも「植えてるわけじゃないけどね。(笑)」ということですが…。

堤防の上でジャラシで遊んでくれた子。この子ともう一匹の兄弟でけっこう長い時間相手してくれたんですが、

どうも遊んでるうちに他のみんなはゴハンの時間だったようで、いつもの場所に戻ってみたら、

ボーゼンとしてました。(^^;
ごめん、ごめん。私と遊ぶの夢中になってゴハンの時間忘れちゃった?
こりゃ私の責任かもな~。かわいそうなので、私の手持ちのカリカリをお皿に入れてあげました。
そしたら…。

ごめんね。あれで手持ち全部なんだよ。ホステルに戻ればあるんだけど…。
八幡神社のすぐ隣にある旧佐柳簡易郵便局。ここはもう閉局してしまっていて郵便業務は行っていません。
でも入口のガラス戸のところには「ねこはこちらの入口でお待ちください」の表示が。

そう、待ってれば時間になるとゴハンが出てくるんです。
でも、ここでも遅刻した子が。

これは遅く来たキミが悪いよね~。(^^;
17:00過ぎ。とうとう雨が降ってきました。最初のうちはポツポツ雨だったけど次第に雨脚が強くなっていって…。

今日はこれで終了かな。雨のせいであたりも暗くなってきました。ホステルに引き返しましょう。
ホステルに着いた頃には本降り。風も吹いていて部屋の窓に雨が吹き付けてきます。

でも隣の部屋から聞こえる猫の声を聞いていると、雨も気にならない♪
明日は雨の中での撮影になるでしょうね。でもそれもまた楽し、かな。
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