進化論・分類
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突然変異により新種が誕生するかも知れません。 長い年月をかけて、多種多様な生物が存在する現在に至っています。 環境省によると、全世界において既に知られている種の数は約175万種だそうで、 このうち、哺乳類は約6000種、鳥類は約9000種、昆虫は約95万種、維管束植物は約27万種。 まだ知られていない生物も含めて、地球上に存在するであろうと予想されている総種数は ![]() 学ぶ項目を、ステップを細かく分けて一覧にしました。 「この項目は大丈夫だな。」と思うものは飛ばしてもらって結構です。 自分に必要な項目だけを学べば良いでしょう。 各項目がマスターできているか、自分では分からない・・・という方も御安心を! こちらで診断(テスト)していき、まだ理解できていない項目は補強します。 カッコ内は、文部科学省の学習指導要領に従った、目安となる履修学年です。 先取りしたい方は、その学年に到達する前に学べば良いでしょう。 【カール・リンネ(1707−1778)】 (01)近代生物学・・・動植物や鉱物などを記載・分類する「博物学」の一分野として始まりました。 (02)大航海時代・・・世界各地で新種の動物・植物・鉱物の発見が相次ぎました。 (03)カール・リンネ(高3)・・・“分類学の父”と称される、スウェーデンの博物学者です。 (04)花の生殖器官・・・大学で、植物の分類の基礎が、花のおしべとめしべにあることを確信しました。 (05)1732年・・・スウェーデン最北部に位置するラップランドの探検に行きました。 (06)1735年・・・「自然の体系」を出版しました。 (07)1737年・・・「植物属誌」「ラップランド植物誌」を出版しました。 (08)1741年・・・ウプサラ大学にて植物学の教授になりました。 (09)1753年・・・「植物種誌」を出版しました。 植物の学名は、現在も、これが起点です。 (10)1758年・・・「自然の体系(第10版)」を出版しました。 動物の命名法の起点です。 【エラズマス・ダーウィン(1731−1802)】 (11)エラズマス・ダーウィン・・・イギリスの医者・詩人・自然哲学者。 チャールズ・ダーウィンの祖父。 (12)大学・・・ケンブリッジ大学とエジンバラ大学で学び、内科医の資格を取得しました。 (13)1791年・・・「植物の園」を出版しました。 リンネの植物学を取り入れています。 (14)1796年・・・「ズーノミア」を出版しました。 (14)ロバート・ダーウィン・・・エラズマスの子。 チャールズの父。 イギリスの医師です。 【ジャン・ラマルク(1744−1829)】 (15)ジャン・ラマルク(高3)・・・1809年に「用不用説」を提唱したフランスの博物学者です。 (16)無セキツイ動物・・・リンネの分類は、無セキツイ動物については、ほとんど手つかずでした。 (17)1797年・・・無セキツイ動物を5綱に分類しました。 (18)1801年・・・無セキツイ動物を7綱に分類しました。 (19)1809年・・・無セキツイ動物を10綱に分類しました。 現在の分類体系に近いものです。 (20)用不用説(高3)・・・科学的に検証された最初の進化論であったことに異論の余地はありません。 【チャールズ・ダーウィン(1809−1882)】 (21)チャールズ・ダーウィン(高3)・・・1859年に「種の起源」を出版した地質学者・生物学者です。 (22)1825年・・・父の医業を助けるために、エジンバラ大学で医学を学び始めました。 (23)1826年・・・大学では医学の勉強よりも、博物学のクラブに夢中でした。 (24)ロバート・グラント・・・ダーウィンは、動物学者グラントの研究を手伝っていました。 (25)1827年・・・血を見るのが苦手でエジンバラ大学を去り、ケンブリッジ大学で牧師を目指しました。 (26)ジョン・ヘンスロー・・・ケンブリッジ大学で鉱物学・植物学の教授をしていました。 (27)1831年・・・ケンブリッジ大学を卒業。 ヘンスローの紹介で「ビーグル号」に乗船しました。 (28)ビーグル号・・・イギリス海軍の測量船です。 この時の航海が「種の起源」の“ネタ”です。 (29)1836年・・・帰国。 ヘンスローの働きかけで、既に科学界の有名人になっていました。 (30)1837年・・・ケンブリッジからロンドンへ移住しました。 (31)1838年・・・マルサスの「人口論」を読んで、自分の理論の下準備が整いました。 「分子遺伝学」の一覧へ |
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