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第七回 執権修行


子供たちが成長して少年期になりましたが、どっかで見たことあるなぁ〜〜とずっと思っていました・・・
そうしたら、某ロムってるサイトにて疑問が氷解。「永遠の仔」か、なるほど。
意外とそのヘン考えてるのかねぇ、N●Kさま。
何故か時輔に肩入れしてしまう、面食いじゃないハズのワタクシ(苦笑)。健気じゃないですか、凄く。
チビ期での笑顔@(パパの膝おいで時)がぐさりと来てるらしい。
結末を知っているだけにかわいさが身に染みます・・・
何でもいいけど、チビ@東海くん、少年@崎本くんも渡部さんにそっくりだわ。違和感がないもんなぁ。スゴイ。
ついに時利から時輔に変わってしまいました。
この親子のシーンを見ていて、時頼がどうして執拗に時宗、つまり正室の子に拘ったのか、を又考えてしまった。
時頼自体、本来なら傍流なんだなぁ。嫡流は兄経時の子供なんだから。
そういう負い目?みたいなものを感じていたのかも。
経時から執権を譲られた際に家督幼稚として眼代の道を取らず、経時の子供は二人共出家した(させられたのか?)
そういう事もあり、時頼は兄を謀殺したなんて説もある訳で。
北條得宗家の家督争いは必ず悶着があるし、そういった争いも避けたい。蒙古襲来の折内紛などしてる場合ではない。
その為には本当は傍流だけど、これからは時頼流が得宗を継ぐと知らしめなければいけなかった。
・・・にしてもあの扱いは可哀想だと思いますわ。時頼サマ、家の為なら鬼になれるのね。
執権修行ってコトで小侍所所司に任命された時宗、御所さまとのご対面での和歌は出来たのでしょうか(苦笑)
あんな所で場面が切り替わるなんてさ。出来栄えはともかく、何がしかのオチをつけてほしかったわ。
イヤミ云われるだけで終わってもさぁ〜〜〜。気になるよ〜〜
しかし、ここで一言。和歌はけして政治からの逃げ場ではないと思うのね〜確かに鎌倉ではなくて京において、だけど。
和歌によって政治の駆け引きがあったりした時代だから、どうせ傀儡だから和歌を詠んでりゃいいって云うのはあんまり頷けない。
確かに実権のない将軍だけどさ・・・この辺り、詳しく知りたいけどまだ不勉強なもので。
でもねあの重ちゃん、政村兄弟でさえ結構和歌を残してるんだよ〜〜(失礼っっ/笑)
もひとつ不勉強な仏教の話。日蓮が立正安国論を時頼に提出した件り。
重ちゃん長時親子の日蓮に対しての報復が、ただ執権としての長時がバカにされたからって云う風に取られると哀しいのです〜
だけどあれだけじゃそう思うよねぇ。
重ちゃん親子は念仏宗に帰依していたから、法華経のみを信ぜよと云う日蓮とは決して相容れない訳です。
これを飛ばされたら、単なる親バカじゃないかっっいやそれも多少はあったかもしれないけどさ。
重ちゃんはそんなバカじゃないっと思う。
極楽寺流(重ちゃん)は得宗家に従順な一族で、得宗に継ぐ名家と云われてます。
それは重ちゃんの布石があったからだし(娘を得宗家に嫁入りさせたりね)
長年六波羅に居て京の事もわかってるし勿論政治力もあった。そして決して得宗に逆らわなかった…
ただ幕府批判には違いないので、日蓮を放っておくのは政治上でもまずいよね。
極楽寺流(重ちゃん)には思い入れがあるから、特に気になってしまいました。
この後、長時弟@羽賀研二も出てくるんだけど(濃い兄弟だなぁ/笑)長時の息子は一体ダレがやるんだ〜〜気になる。
大河ムックを見てるといや〜な予感が・・・もしかして息子役はなしで、弟にやらせるんじゃないかしら・・・・・むむむ。
障子の話をああいう風に織り込むとは中々(^^)。
徒然草に載ってる松下禅尼の賢妻ぶりを示すお話です。そして北條家が質素であったという話。
もひとつ徒然草にはエピソードがあってこっちが又かわいいんですよ〜〜
時頼が夜中に酒が飲みたくなって宣時(ゴロちゃんの孫よ♪)を呼び、台所で見つけた素焼きの皿にこびりついた味噌を肴に
楽しく酒を飲んだ、と云う話。なんて質素なんでしょう。。。時頼は当時執権を退いたとは云え最高権力者。
その彼ん家の台所には味噌しか肴が無かったんですぜ(笑)
正に質実剛健の鎌倉を表している微笑ましいエピソードです(^^)
あ、ちょっとズレた(汗)
時輔には祥子のかわいさや屈託のなさがこれから救いになればいいね〜。
これで将軍家がらみのヨメなんぞもらっとったら、夜も安眠出来ないよ〜(苦笑)
しがらみのない安らかさって必要だよなぁ・・・。

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