説教要旨

日本イエス・キリスト教団香登教会

 聖 句

「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに驚いた」(マタイ7:28)
「それで皆は驚き『こんなことは、いまだかつて見たことがない』と言って神を崇めた」 (マルコ2:12)

 

2025年1月1日 元旦礼拝

題:「驚きの一年」
説教:坪内信治牧師
聖書:マルコ2章12節、マタイ7章28〜29節
讃美:20、398、224
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   新しい年を迎えました。新たな目標を掲げて、新しく一歩をと、願われていることでしょう。一方で目標が持てず、何気なく一年を過ごしてしまいそうな方もおられるかもしれません。私たちは福音に生きる者です。福音、実にそれは驚きの連続です。ワクワクする、活発なものです。閉塞感の漂う中で最も必要なものだと言えます。
  1,不平不満、無気力、退屈は希望を奪う
  大きな目標を達成した後に、無気力に陥ることがあります。信仰生活をむしばみ、意欲を奪い、退屈な日々に陥ることがあります。エーリッヒ・フロムは「私たちは人生に起る様々な恐ろしい出来事について語りますが、最も恐ろしいことの一つである退屈について語ることはほとんどありません」と語ります。イスラエルの民が奴隷の地エジプトを脱出し荒野に着いたとき、食べ物がなくなり、不平不満が噴出しました(出16:2〜3)。神様は民の不満を聞かれ、肉を与え、マナを備えられました。しかし、すぐに民はエジプトの地での生活を惜しみ「このマナを見るだけだ」とつぶやきました(民数記11:4〜6)。神様の奇跡を見た感動、意欲、気力を失ったのです。私たちは、不平不満、無気力、使命や目標の喪失に陥ってはいないでしょうか。これこそ最大の危機です。
  2,驚きの日々を取り戻す
  神様が造られたこの世界には驚きがいっぱいあります。神様が私たちの日常の中で、生きて働いておられるからです。イエス様のご降誕にも驚きが連続しています。「人々はみな驚いた」(ルカ1:63)、「羊飼いたちが話したことに驚いた」(ルカ2:18)、「父と母は。幼子について語られる様々なことに驚いた」(ルカ2:33)。イエス様の働きの中でも「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに驚いた」(マタイ7:28)、「それで皆は驚き『こんなことは、いまだかつて見たことがない』と言って神を崇めた」(マルコ2:12)と驚きの連続です。羊飼いたちは驚き、感動して、必死で伝えました。それを聞いた人々は羊飼いの話したことに驚いたのです。さらには「多くの者があなたを見て驚き恐れたように、その顔だちは損なわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた」(イザヤ52:14)とメシアの苦難を預言する「苦難の僕の歌」にあるように、イエス様の十字架のみわざは人を驚かせるほどのものなのです。私たちは、この福音にあまりにも慣れ過ぎてしまって、驚きも、喜びさえも、失ってしまっているかもしれません。
   イエス様は道端に咲いている野の花をご覧になり、父なる神様が栄華を極めたソロモンよりもよそわれていることに驚かれました。日常生活の中に驚きは満ちあふれています。子ども時代に戻り、自然の中で遊ぶことなど大切です。退屈に対する特効薬となるかもしれません。「ただ、このマナを見るだけだ」(民数記11:6)から「見えないものに目を留めます」(Uコリント4:18)と、あるように、日常のささいな出来事に目を留めていきましょう。私たちは気力がない、何のためにしているのかわからない、10年後が見えない、今さえよければそれでいい、使命感がないといった症状に陥ってはいないでしょうか。イエス様は無から有を造る創造の神様です。その神様とともに歩むときに、無気力などありえないことです。いつもイキイキと使命感に満ちあふれるのです。新しい年がイキイキと驚きの連続である1年であるように祈りましょう。

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