「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。…散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた」(使徒8:1〜4)
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| 慣れ親しんだ場所、親しい人々、築き上げてきた働き、そして安定した生活。そこから離れることは、時に不安や痛み、大きな喪失感をもたらします。しかし、神様は様々な状況を通して人を送り出されます。神様のみわざは、しばしば「離れる、出て行く」という出来事と深く結びついているのです。 | |
| 1、神が語られる「離れよ」という召し | |
| アブラムの父テラは、アブラムを連れてカルデアのウルを出発しカナンへ向かいましたが、途中のハランに住み着いてしまいました。そこで旅は止まってしまいました。その時、神様はアブラムに語られました。「あなたの土地、親族、父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい」(12:1)。当時、土地や家族は生活の絶対的な土台でした。神様はあえてそこを「離れよ」と命じられたのです。しかも行き先はまだ示されていません。そのような中、アブラムはただ神様の召しに従って離れたのです。信仰とは、すべてが見えてから従うことではなく、神の言葉を信頼して一歩踏み出すことなのです。 | |
| 2、離れることによって広がる祝福 | |
| 神様はアブラムに、「あなたを祝福し、地のすべての人々があなたによって祝福される」と約束されました。アブラムは単に祝福を受けるだけでなく、祝福を「届ける」ために召されたのです。もし彼がハランに留まり続けていたなら、祝福が広がることはありませんでした。使徒の働き8章では、エルサレムの教会に激しい迫害が起こり、信徒たちはユダヤやサマリアに散らされました。しかしその結果、さまざまな場所で福音が伝えられていきました。ピリポがサマリアでキリストを宣べ伝えると、その町には大きな喜びが生まれました。アブラムは神の召しに従うことによって、初代教会の兄姉は迫害によって一歩踏み出しました。離れることを通して、祝福が外へと広がったのです。ここには、共通して神の深い御心があったのです。 | |
| 3、「離れること」は「派遣されること」 | |
| アブラムは行く先々で神を礼拝し、神の臨在を証しする人となりました。散らされた初代教会の人々も同じでした。彼らは困難の中にありながら、それぞれの場所で福音を伝えたのです。私たちが一つになることは神様の御心です。神様の御心を行うために一つとされるのです。神様は私たちを一つにまとめ、そしてまた「離し」「遣わされる」のです。「遣わされなば 直ちに行かん 留められなば 家に祈らん 大御旨は いずれにあれ 君は常に ましませば」(新聖歌402 4節)。ただ、神様の御心に従うことです。 | |
| 進学で家を離れる、転勤で新しい土地へ移る。そこには当然、寂しさがあります。しかし神様は、その出来事を用いて、新しい場所に祝福を広げられようとしています。私たちがアブラムのように神の言葉に生き、初代教会の兄姉のように神の命に生かされているなら、「離れること」はそのまま「神の派遣」となります。そこには神様の祝福がもたらされます。恐れることはありません。神様が送り出されるとき、必ず祝福の約束を伴ってくださいます。「離れる時」も「留まる時」も、それを見極める知恵を祈り求めましょう。離れることもまた、神様の目から見れば大いなる祝福であることを信じて、希望をもって新しい一歩を踏み出しましょう。 |
日本イエス・キリスト教団 香登教会
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