説教要旨

日本イエス・キリスト教団香登教会

 聖 句

ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9:6)

 

2025年12月7日(日)  第1主日(アドベント第二主日)聖餐式礼拝

題:「平和の君のご支配」
説教:坪内信治師
聖書:イザヤ9章6〜7節
讃美:67、68、141
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  アドベント、それは救い主の到来を「待ち望む」季節です。単なるイベントの準備期間ではありません。私たちは闇の中で光を待ち望む民として、この時を過ごします。
  1、闇の中に輝く光
  イザヤの時代、北イスラエルはアッシリアによって荒らされ、希望を失い、恐れと不安の中にありました。その民にイザヤは「光が輝く」(2)と告げました。それは政治的な解放ではなく、神ご自身が人と共に住まわれるという約束です。この約束の成就のために、ひとりのみどりごが私たちのためにお生まれになると、イザヤは預言するのです(6,7)。 「みどりご」とは弱さと小ささを象徴します。神様は救をもたらすために、力や権力を捨てて、幼子の姿となられ、へりくだってくださるのです。ここに神の愛と救いの目的が表れています。 みどりごとなって私たちのために与えられるこのお方は、どのようなお方なのでしょうか。
  2、救い主の御名 ― 神のご性質の啓示
  @不思議な助言者 それは人間の知恵を超える神の救いの計画をもたらす王という意味 です。その救いは十字架という不思議な方法でした。誰も想像しなかった弱さを通しての救いこそ、神の最も深い知恵なのです。主は今日も静かに私たちを導いてくださいます。
A力ある神 「ひとりのみどりご」と呼ばれるお方が、同時に「力ある神」です。この矛盾 のような言葉に、クリスマスの本質があります。神の力は、私たちが考えるような「軍事的な力」でも「支配の力」でもありません。それはへりくだり、仕える力です。ベツレヘムの馬小屋で眠る赤子に全能の神の力が宿っていました。十字架の弱さの中に、罪と死を打ち破る神の力が現れたのです。
B永遠の父 神は遠い存在ではなく、永遠に変わらぬ愛をもって私たちを包みます。失われた 者を探し出し、愛してくださるお方です。その愛は一時的ではなく永遠に続く愛です。罪を犯した者、傷ついた者、遠く離れた者にも届く愛です。あなたのまことの父となって下さるのです。
C平和の君 「平和(シャローム)」とは、単なる戦争のない状態ではなく神との関係の回 復、心の完全、調和を意味します。罪によって断たれていた関係が、キリストの十字架によって回復されました。人と人の和解も、民族を超えた平和も、すべてこの方の支配の中に始まります。「キリストこそ私たちの平和です。…隔ての壁である敵意を打ち壊し…十字架によって神と和解させ」(エペソ2:14〜16)るのです。私たちはこの平和を受け取り、また、平和を運ぶ者として生きるのです。
  3、増し加わる主のご支配
  その主権は増し加わり、その平和は限りなく続きます。このご支配は、ベツレヘムで始まりました。そして、今も世界中で広がり続けています。歴史の中で王国は興亡を繰り返しました。しかし、キリストの王国だけは決して滅びません。ここに、教会の存在の意義があります。世界が混乱し、不安に満ちる時でも、教会には「平和の君」がともにおられ、平和を与え続けるのです。
  平和の君を私たちの生活にお招きしましょう。その御名を喜びながら心を整え、希望をもって救い主の到来を待ち望みましょう。家庭の中に優しい言葉を、教会の交わりの中に赦しと励ましを、地域社会の中で、主の愛を行動で現していきましょう。未だなお、暗闇の中にあり、光が見えなくても、神の働きは小さな光、小さな希望、小さな回復、それは、あなたから始まるのです。

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