「しかし、サマリアを通って行かなければならなかった。」(ヨハネ4:4)
「そのサマリアの女は言った。『あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。』ユダヤ人はサマリア人と付き合いをしなかったのである。」(ヨハネ4:9)
私たちは信仰生活において、時に妥協してしまうことがあります。その妥協が悲劇を生むことがあります。妥協の危険性を見ることにしましょう。 | |
1、人間の政策による混乱(24〜34) | |
アッシリアの王は、北イスラエル王国の首都だったサマリアにバビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしてセファルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住まわせました(24)。するとイスラエル人は新しく移住してきた人々と婚姻関係に入り、イスラエル人と異邦人の混血である「サマリア人」が現われるようになったのです。彼らは主を恐れなかったので、主は彼らの中に獅子を送り込まれました。何人かの人々が殺されました。彼らがその土地の神についての慣わしを知らないからと考え、アッシリアに捕らえ移した祭司の一人を連れて行き、そこに住まわせ、その土地の神についての慣わしを教えさせました。「しかし、それぞれの民は、それぞれ自分たちの神々を造り、サマリア人が造った高き所の宮にそれを安置した。それぞれの民は自分が住む町々でそのようにした」(29)のです。主を礼拝しながら、 同時に、自分たちの神々にも仕えていたのです(33)。彼らは主を恐れることはなく、主の掟や律法を守ることもありませんでした。サマリアの町は民族的に、宗教的に混乱したのです。主はイスラエル人と契約を結び、「あなたがたをエジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえを献げなければならない」と命じられました(35、36)。しかし、彼らは聞かなかったのです。彼らは主を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えたのです。今も、人の自己中心的な政策によって、国や町、家族に至るまで混乱がもたらされていることがあります。 | |
2、主イエスによる回復(ヨハネ4:1〜24) | |
この状況がイエス様の時代まで続きました。イエス様はどのように回復されたのでしょうか。当時、ユダヤ人がユダヤとガリラヤを行き来する時、サマリアをバイパスしてヨルダン川沿いの南北に走る道路を迂回して旅をしました。しかし、イエス様はこのような敵意の壁を越えて、あえて、サマリアに近づかれました。そして、旅の疲れを覚えられたイエス様は「井戸のそばにすわって」(6)おられました。その時、ある問題を抱えた女性が人目を避けて、正午に水を汲みに来ました。イエス様はこの女性と会うためにあえて、彼女にとってベストな時間を選ばれ、彼女が来るのを待っておられたのです。ユダヤ人男性がサマリア人女性に声をかけるということは不道徳と考えられていた、当時の常識を超えて、この女性に近づかれたのです。サマリア通過は主にとって必然でした。それはただサマリアのこの女性の救いのため、サマリアに長い間にわたり、持ち込まれた混乱から解放を与えるためでした。民族や文化を超えて一人の人を求める主の愛、混乱からの解放を与える主の愛を見ます。 | |
神様は混乱のある所に、愛と平和、恵みをもたらしてくださいます。私たちの中に、様々な理由により、混乱、不安が渦巻いていないでしょうか。主は、これらの壁を超えて、今あなたのところに来て、あなたと会ってくださいます。主に立ち返り、主を求めていきましょう。 |
日本イエス・キリスト教団 香登教会
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