説教要旨

日本イエス・キリスト教団香登教会

 聖 句

わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。(ヨハネ10:10,11)

 

2025年11月2日 創立130周年記念音楽礼拝

題:「豊かないのちに生きるため」
説教:坪内信治師
聖書:ヨハネ10章10〜11節(新202p)
讃美:21、209、206
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  日々、私たちは何を考え、何を目標に生きているでしょうか。時に漠然と、何の目的もなく生き、とても「豊かに生きている」とは言えないことがあります。どうすれば豊かに生きることができるでしょうか。
  1、羊のような弱さを持つわたしたち
  聖書の中で、人は羊にたとえられることがあります。イスラエルの人々にとって羊飼いは身近な存在でした。羊は弱さと無防備さをもっています。自分で身を守れない弱い動物で、羊飼いがいないと迷い、盗賊や狼に襲われる危険がありました。私たちも、強そうに見えて実は弱く、迷いやすい存在です。怒りや欲望、誘惑に簡単に負けたり、ストレスや不安に押しつぶされたりします。羊は少しでも群れから離れると、すぐ迷子になってしまいます。私たちも同じで、群れから離れると、何が正しいのか分からなくなります。流行や周囲の人の言葉、SNSの情報に振り回されると、自分の将来や進むべき道について不安や迷いが生じるのです。また、羊は傷つきやすい動物です。私たちも批判や拒絶の言葉で深く傷つき、失敗すると自分を責めて、前に進めなくなります。このように、私たちは弱い存在であることを思います。羊は羊飼いなしでは生きていけません。私たちも同様にまことの羊飼いなるイエス様の助けを必要としています。「主が 私たちを造られた。私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊」(詩篇100:3)とある通りです。けれども、私たちは皆、神から離れて、自分中心になりやすいです。その結果、心に虚しさや不安が生まれるのです。
  2、良い羊飼いであるイエス様
  「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます」(11)と、イエス様は語られます。イエス様は、罪によって、さ迷っていた私たちを探し出し、十字架で私たちの代わりに命を捨ててくださいました。あなたのために命を捨ててくださったお方はイエス様お一人だけです。そして三日目によみがえり、死に打ち勝たれたのです。これは歴史上の出来事であり、今も全世界の人々に希望を与え続けています。イエス様を信じる人は誰でも赦され、永遠の命をいただくことができます。私たちがどんなに迷い、傷ついてもイエス様は私たちを見捨てることはありません。
  3、豊かに生きる者としてくださるイエス様
  ここでいう「いのち」とは、単なる肉体の生命ではなく、神との関係に生きる「永遠のいのち」です。人は罪によって神様から離れ、本当の命を失っています。イエス様が来られた目的は、神と人との関係を回復させることでした。聖書が語る「豊かさ」は、お金や持ち物などの物質的な豊かさではなく、むしろ心の豊かさ、関係の豊かさ、そして霊的な豊かさなどを指します。心に平安を保ち、困難の中でも希望を失わず、愛に生き、人を愛し、人から愛される。そして永遠に続く命、これが「豊かないのち」です。豊かに生きる人は感謝の心を持って生きる人です。どんな状況でも、「これは神様からの恵み」と受け止められる人です。また、豊かに生きる人は他者のために生きる人です。人を愛し、仕える人です。与える人は、実は一番多くを受け取っているのです。豊かに生きる人は、神にゆるされ、心の自由と平安を得て、自分も他人もゆるすことができる人です。心に憎しみや怒りを抱えたままでは、どんなに成功しても心は貧しいままです。
  私たちは、自分の力や成功だけに頼ると、時に虚しさを感じます。しかし、神様に愛され、目的をもって造られた存在であると知るとき、心に深い安心と喜びが与えられます。本当の生きがいは「神に愛され、神とともに歩むこと」から始まるのです。今日、良い牧者であるイエス様のもとに帰りましょう。

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