【vol.244】松村正直『について』現代短歌社

何の罪もない人々というひとがいるかのごとく話す人あり

しろたえの皿のうえにて取り替えるあなたの肉とわたしの肉を

水張田のひかり見ておりおそらくは既に過ぎたる人生として

「出口」「出口」表示をたどり地上へと出ればその先もう出口なし

東京の、博多の、呉の、仙台の、空に浮かびて単独の月

五年前に亡くなりましたと聞きたればこの五年分の君が消えゆく

列車より眺める空の明るさの、あってはならないことはあること

聞いてもらって気持ちが楽になったと言う、ああその分の重さかこれは

亡きひとのごとく時おり思い出す東京にひとり住む父のこと

シンプルなものほど技の差は見えて口にほぐれる焼きめしの粒

餃子焼くひとはひたすら餃子焼き焼かないときは餃子を包む

金柑のかがやくような(あなたにも、もう私にも)時間はなくて

かたわらをのぞみが過ぎてゆくときに揺れるひかりの車体かなしも

ここ痛いですかこっちはどうですか訊かれて冬の白鳥になる

向き合ってハヤシライスを食べている休戦中のような息子と

円柱は一直線に開かれて長方形のうな重に載る

ようやくに財布見つかれば鍵が消え鍵見つかれば靴のない母

どこから読み始めてもいいとあるけれどやはり最初のページから読む

残りたる者がひとつのテーブルに席を移してからが本番

左手を右手でつよく押さえ込む心はおさえるこのとできねば

泣き叫び注射打たれるおさなごの声に和めり待合室は

弘前の、三春の、小諸の、醍醐寺の、桜見るたび死へと近づく


 

「夜明けについて」「肉について」「沈黙について」「王将について」等、「〇〇について」という小題の連作を多く収めたⅠとそれ以外のⅡで構成されている。歌の場面はシンプルに再現できるのだけれど、読後、その場面を離れて深く考えさせられる、そういう歌が多い。2015年~2018年までの478首を収めた第6歌集。

2025年11月01日