練馬で開局してから

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70年以前 <SR-100>

私とハムとの出会いは、小学校高学年の頃でした。自宅にあった短波ラジオで、たまたま聞いた7メガのAM局の交信がその始まりでした。上段の写真は、その頃に何度も読み返した、ラジオ製作の本です。神田にあった科学教材社のキットの解説が主で、そのお陰か、秋葉原に行くのと同様に、同社へは良く足を運んだものです。

暫くして、STARのSR-100という5球スーパーのキットを作り、7メガのSSBも聞けるようになり、益々ハムへの関心は高まってきました。

中学校に入り、ハムへの具体的なステップを踏んで行くわけですが、その当時、中学校にはハムの同級生や先輩が沢山いて、色々とハムのことを教えてくれました。

そのお陰で7メガ以外のバンドの存在も知りました。中でも人気が高かった50メガの交信を聞きたくなり、クリコンの作り方を教えてもらい、6U8の1球のクリコンを作りました。親機のSR−100には前面パネル中央上部にSメーターを追加し、少しでも無線機に近づける努力をしました。ただ、感度に問題があり、余り多くの局は聞けなかった様に記憶しています。それでも、自分の机の上に、SR-100とクリコンが並んでいるだけで満足感に浸る事が出来ました。残念ながら、その頃のシャック?の写真はありませんが、イメージは下段のイラストの通りです。


74年 <FT-400S>

1971年。中学校に入り、諸先輩方の教えを請い、念願のハムの免許を取ることが出来ました。その時に初めて親に買ってもらった機械が、このFT-400Sです。

FT-400Sは、受信部のトップがサブ・リモートカットオフ管の6CB6、送信部はドライバーが12BY7A、ファイナルが6JS6A、バラモジは言わずと知れた7360を使っている、当時の典型的なオール真空管のRIGで、夏などは上面が非常に熱くなり、後にブック型FANを上面に置いていました。VFOのドリフトも若干あり、ローカルとラグチューしている時は、お互いにfズレを修正したものです。この当時は、機械いじりをあまりしなかったのですが、それでも、時々、IFのトリマを回しては感度調整をしたり(調整点が結構動くのです)、CWモニタの発信回路を利用した、AFピークフィルタを追加する改造をしたり、純正のノイズブランカを追加したりしました。

マイクは、トリオ製のMC−50を使っていました。FT-400Sに対してMC-50は若干感度不足で、それを補完する為に、カツミ製のマイクコンプレッサーを使っていました。SWRメータは、オスカーブロック製のSWR-100。ローテータは、アイガ製のART-3000です。開局当時のアンテナは、7、21、28メガの逆Vアンテナでしたが、この写真を撮った時は既に、タニグチ・エンジニアリング・トレーダース製の、21メガ3エレHB9CVを使っていました。その他、50メガの移動用として、TR-1200を使っていました。これを持って、何回か、50メガAMの移動運用をしたことを覚えています。SWRメータの上に飾ってあるのは、当時使っていた、手書きのデザインのQSLカードで、日本列島の地図からJE1ATWという電波が出ている、という構図でした。シャックの上部に飾ってあるのは、当時のJARLの門標です。


80年 <FT-101ES>

短期間ですが、FT-101ESを使っていた時期がありました。

FT-101ESはファイナルとドライバ以外はオールトラで、非常にクールな機械だという印象でした。このためか、VFOのドリフトもFT-400Sと比べ少なく、使いやすい機械でしたが、ローバンドの混変調はFT-400Sとあまり変わらない様な気がしました。ノイズブランカはそれなりに効いたと記憶しています。

SWR計はクラニシ製で、以前の物よりもっと正確なタイプに代わりました。また、DAIWAのアンテナカップラーを使い始め、雨の日に7メガの逆VアンテナのSWRが悪化するのを補完していました。マイクロホンMC-50の奥に少し見える箱は、自作のRFスピーチプロセッサーで、良く効いていました。手前に見える、机の横に取り付けてある機械は、三共特殊無線のKF-430で、430メガの連絡用に使っていました。棚の中段は、右から実作の電源装置、前出のSR-100とVHFの受信機です。

棚はLアングルで組み、棚の黒とコントラストが綺麗な、黄色の電源コンソールパネルをアクリル板で作り、そこには、モダンな形の角型の電源電圧計、電流計、電源表示ランプ、NFBを配置しました。


82年 <FT-107M、FL-2100B>

学生時代が終わり、自由になるお金が出来、機械も新しくなりました。この少し前に1アマに合格した事もあり、QROを果たしました。

HFの機械として、TS-820Sを買おうか、FT-107Mを買おうかを迷いましたが、結局オールトランジスタに惹かれ、FT-107Mを買いました。トライバンダーを使っていましたが、バンド間のQSYがワンタッチで行えるので、非常に感激をしました(今では当たり前のことだと思いますが)。FT-107Mは動作も非常に安定していて、VFOのドリフトも既に余り気にならないレベルでした。それなりにアクセサリ回路もついており、デジタルメモリ、メモリ周波数のシフト機能、ノッチフィルタ、ピークフィルタは、結構重宝をしました。また、バンド切り替えがダイオードスイッチとリレー併用なので、バンド切り替えスイッチが今までの機械と比べ、非常に軽くなったのも、新しい機械だという印象を与えてくれました。

リニアアンプは、FL-2100Bで、572B×2のデスクトップ型の、FT-101とマッチしたデザインの機械です。ただ、電源にAC100Vを使っていた事もあり、余りパワーは出ず、21メガで400W弱だったと思います。しかし、FANの音が静かな事が救いでした。その他、430メガの機械が代わっています。


87年 <FT-107M、NRD-515、TL-922>

社会人生活も板に付き、独身貴族をエンジョイしていたころの設備です。

NRD-515オールウェーブ受信機が加わり、リニアアンプもTL-922となり、ローテータも少し強力なタイプに変わりました。実は、私はこの頃、船舶無線局の設計、維持を仕事としていたため、JRCの受信機に憧れており、NRD-515を購入しました。この機械は同期検波が搭載されていないので、QSBが深い時はAMが聴き難いのですが、デジタルシンセサイザー方式で、周波数安定度が良く、またフィルタの帯域もモードとは独立して選択出来るので、SSBには良い受信機だと思います。今でも短波のSSB通信を聞くときには使っています。

TL-922は3-500Z×2のリニアアンプで、トランスのタップと一部の回路変更で、1KWまで出せる機械です。私は、余裕を持ち500Wで使えるのが魅力で(以前のFL-2100Bが非力だったので)、またデザインも気に入り、この機械を買いました。これも、デスクトップにふさわしく、ファンの音が静かな機械です。この後、転勤を機会に手放しますが、その後、再度購入し、今でも練馬で使っています。


06年 <IC-760Pro、TL-922>

東久留米市に自家保有をし、常時居ないために、設備がシンプルになりました。

トランシーバはIC-760Proで、私に言わせてみれば、面白みがないオールトラの機械ですが、丈夫でメンテナンスが不要な所が、普段居ないシャックにはうってつけです。夜はオール・ウェーブ・ラジオの代わりになるので、設備がシンプルになります。リニアアンプは以前と同じTL-922で、再度中古で買いなおした機械です。パワー監視用には、Bird43が置いてあります。IC-760Proの内蔵スピーカーは音があまり良くないので、コンポ用のスピーカーを、外部スピーカーとして使っています。マイクは、アドニスのコンデンサマイクです。その他、V/Uのトランシーバが置いてあります。ラックの上段に置いてあるのは、3台ともDC電源装置です。


09年 <IC-756ProV、TL-922>

新スプリアス規制対策の為に、対応機種のIC-756ProVを導入しました。

コリンズが中心のラインナップの中、初めてのDSP+バンドスコープ付きの機械で、趣が違った楽しみを味わっています。思ったよりも音が自然で良く、DSPのイメージを一新しました。ただ、アナログの機械、特に真空管の機械と比較するとフロアノイズのレベルが高く、音質が甲高いために、長時間ワッチをし続けると少々疲れます。その他の設備は、専用マイクSM−20、電源GSV3000が増えました。

IC-756ProVはリニアアンプ制御リレーの接点の耐圧がDC16Vなので、TL-922のDC100Vを制御できません。このために、パワートランジスタで作成した外部制御BOXを経由しています。

制御BOXに関する参考資料は当WEBサイトの30L-1をICOMで使うを参照してください。