コリンズ50年史 |
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Arhtur Collins は十代の頃、彼の友人と伴に無線機を作り、彼の父M.H.Collinsが農業家であり裕福であった事より、その才能をもってやがてコリンズ社(以下コリンズと記述)を創業し、無線機製作の事業を始めた。彼の才能は海軍でも受信が出来なかったグリーンランド探検隊のByrdの電波を受信、中継した事で一躍有名になり、後に技術のコリンズと世界に言わしめる様になった。以上の史実はコリンズファンなら一度はどこかで読んだ事があると思われるが、この度、このコリンズの50年史(The First Years of Collins)を読み、今まで余り知らなかった史実に触れたので、ここにその主なものを紹介しようと思う。 | |
1.コリンズのビジネス Arhtur Collinsは1931年の景気低迷時に今まで半分趣味として実施していた、無線機の製造を本格的な事業として始めた。この頃の事業の柱は、言うまでも無くアマチュア無線機の製造であったが、コリンズ社史の中で、事業の大きな柱は軍事、航空機関連であった。軍事関連の需要は、第二次世界大戦が終結後に急激に縮小し、米国内の他の軍事に拘わった産業と同様、苦しい時期を迎えるが、その後、航空産業が拡大し始め、コリンズはこの波に乗り、数々の技術革新を進めてゆく。 |
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姿勢表示器 |
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2.コリンズが成した技術革新 SSBを実用化たらしめた要素技術の開発は、コリンズ社の功績である事はアマチュア無線家の間では有名だが、これは以外にも、主に航空機関連で数々の技術革新を生んでいる。従来、ユニット交換式の周波数回路を組み込み式とし、更にはオートチューン化を果たし、周波数転換にかかる時間と労力を大幅に短縮した。周波数転換回路の組み込みは、第2次世界大戦時に開発された技術で、それまでは、周波数別のユニットを入れ替える事により周波数を変えていた為、非常に時間がかかったが、それを内蔵する事により、時間の短縮と伴に回路の安定化を果たした。また、オートチューンでは、モーター、クラッチ、アーム、カム、リミットスイッチによるメカニカルチューニング装置を開発し、この装置は長年に亘り、随所で用いられてきた。無線機とは異なるが、姿勢表示器も大きな開発物である。従来は、航空機の上下の姿勢、左右の姿勢は個別の計器で表示をしていたため、パイロットが自機の姿勢を直感で把握し難かったが、これをV字形をした指示(V-Bar)を持つ一つの計器にまとめ、直感で把握できるようにした。現在でもこの表示方式は使われており、航空業界にとっては大きな革新といえよう。コリンズはこれら以外の分野でも研究開発を進めており、サイクロトロンがその一つに上げられる。サイクロトロンは電子を加速して、原子核/素粒子の実験等に使われるが、コリンズはAtom-Smasharと銘打ったサイクロトロンをGEに対抗して開発し、Atomic Energy Comission に納入している。無線の世界に戻ると、コリンズはVHF、UHFでの長距離通信の分野で1953年に大気圏乱反射通信の研究開発を実施し、実用回線を開設している。この目的は、朝鮮戦争勃発を契機とした早期警戒システムの構築で、このシステムは50KWの出力、数tonの大型アンテナ、高感度受信機を装備していた様である。 |
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ARC-27 |
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3.航空機から宇宙へ コリンズは卓越した開発力により、航空機に搭載する無線機、航行装置、測位装置の大きなシェアを握っていた。特に、コリンズのオートチューンの技術を駆使したUHFトランシーバーARC-27は航空産業の黄金時代を風靡した。これを前後して、コリンズが宇宙関連ビジネスにも進出したのは自然の成り行きだが、それは1958年にX-15型ロケットに納入されたCNI(Communication、Navigation、Information)パッケージに始まった。その後、Mercury計画、初の有人宇宙飛行を実現したGemini計画、月面着陸を果たしたApollo計画等でコリンズのシステムは採用された。Apollo11号が月面着陸時にアームストロング船長が発した「これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」という有名な言葉を地球に伝えた無線機もコリンズ製のものだった。コリンズは地球局を含む全てのシステムを供給するまでに至った。 |
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4.コンピュータシステム 航空機産業の成熟と伴に、航空機搭載機器の革新も進み、徐々にデジタル技術が適用され始めた。コリンズは推測航法の計算機にコンピュータを開発したり、データ通信技術を研究したりし、コンピュータ技術にも力を注いだ。その始まりは、1957年にデータ通信用に開発したシステムKineplex遡る。Kineplexは前衛防衛のコンピュータシステムとして開発され、海軍のNavel Tactical Data System に採用された。その後、61年にはC-8400、66年にはC-8500を開発している。これらのシステムは、事務処理に必要な、受注、製造、資材、給与等のアプリケーション・パッケージを含むセンター集中型システムで、利用者間をデータ回線で結んでいる。コリンズのコンピュータのハードで特徴的なことは、機器を独立した小さな筺体に入れたユニットをメインフレームに入れ挿しできる構成で、軍、航空産業で培った、保守性に富んだ技術を採用した事である。その後、それはC-Systemと進化し、MOS/LSIをも製造していた。 |
C-8400 |
5.苦難の時代 戦後の軍事産業の縮小を補完してきた航空機産業も60年代の後半には陰りが出てきて、これと同時期にコンピュータシステムに多大の研究開発投資をした事もあり、コリンズの業績には陰りが見えてきた。69年3月には、ダラスを拠点にしていたElectric Data Systems Corporatonよりコリンズの買収の話が持ち上がったが、会社規模においてコリンズが売上高ベース$440Mに対して、同社は$8Mと将来性に疑問が残り、コリンズはその話には合意しなかった。その年の4月にはHoneywellとの合併の話が持ち上がったが、これも成らず、結局、71年6月にNorth American Rockwell Corporation (後のRockwell International)に買収された。72年にArhtur Collins は取締役会議長を辞任し、社長にRobert C. Wilson が就任した。彼いわく、コリンズは顧客からの高い評価、市場での高いポジション、技術でのリーダーシップ、豊富な人材という素晴らしい無形資産を有している。 |
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航空搭載機器の製品群 |
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6.コリンズは永遠に その後のコリンズも、航空機搭載機器の研究開発を続け、航空機のポジショニング援助装置であるVOR-DMEやTACAN、航空機の振動にも耐えうるカラーCRT等の開発を行い、航空機産業では絶大な力を有している。前述の通り、経営者が変わりアマチュア無線の血脈は断絶したが、コリンズ魂はこれら製品を司る要素技術の中に、今をもって生きていると言えるのではないか。 |
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最後に 裏表紙を飾っていたArhtur Collinsの言葉から・・・ The real thrill in amateur work comes not from talking to stations in distant lands, not from receiving mulititudes of "QSL" cards from all the world, although there are things to stir your imagination, but from knowing that by careful and painstaking work and by dilligent and systematic study you have been able to accomplish some feat or establish some fact that is a new step toward more perfect communication. |
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【参考資料】 「THE FIRST 50 YEARS」 A History of Collins Radio Company and the Collins Divisions of Rockwell International By Ken C Braband |
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