(最上川)船下り     
                                         

山形県戸沢村,立川町

平成14年(2002) 7月25日

元禄二年(1689)七月十九日

 
 
戸沢藩船番所と古口乗船場
 



戸沢藩番所が古口の乗船所


時代劇のセットのような建物


茅葺の土産屋


古口の乗船所 正面トンネルの下


正岡子規の句碑
           最上川舟歌

      
      よ〜いさのまかしょ え〜んやこらま〜かせ〜
         え〜えんや え〜えんや え〜え
         え〜えんやえ〜と
         よ〜いさのまがしょ え〜んやこらま〜かせ〜

        酒田さ行(い)ぐさげ 達者(まめ)でろちゃ
        よいと こらさのせ〜
        はやり風邪など ひがねよに
          え〜えんや え〜えんや え〜え
          え〜えんやえ〜と
          よ〜いさのまがっしょ え〜んやこらま〜かせ〜
        股ん大根(まっかんだいご)の塩汁煮(しょっしるに)
        塩がしょぱくて 食らわんねっちゃ
          え〜えんやえ〜え え〜えんやえ〜と
          よいさのまかしょ え〜んや こらま〜かせ




                                                         

 
 

芭蕉上陸の地
 (清川)      明治維新と清川八郎
天保元年(1830年)10月10日、出羽庄内清川村斎藤豪寿の長男として生れる。18才で江戸に出て学を東條一堂に、剣を千葉周作に学び北辰一刀流兵法皆伝の域に達した。25才で神田三河町に清河塾を開いた文武兼備の英士であった。その後、全国に雄飛し尊皇攘夷討幕の同志と結び、明治維新の風雲を起した主役といわれている。文久3年(1863年)4月13日、麻布一ノ橋において幕府刺客のために暗殺され34才で生涯をとじた。


上陸の地に建つ芭蕉像・・ここには関所がおかれていた


川沿いの国道の下に上陸の地碑がある


芭蕉像は清川小学校の脇にある


五月雨をあつめて早し最上川


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鳥海山が現れる


立川町の風力発電


松山町から鳥海山 明日はあの頂に!!

 

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