奥の細道  羽黒山篇
     

山形県東田川郡羽黒町

平成14年(2002) 7月27日

元禄二年(1689) 七月十九日



六月三日、羽黒山に登る。図司左吉 と云者を尋て、別当代会覚阿闍利に謁す。南谷の別院に舎して憐愍の情こまやかにあるじせらる。四日、本坊にをゐて誹諧興行。
有難や雪をかほらす南谷
五日、権現に詣。当山開闢能除大師はいづれの代の人と云事をしらず。延喜式に羽州里山神社と有。書写、黒の字を里山となせるにや。羽州黒山を中略して羽黒山と云にや。出羽といへるも鳥の毛羽を此国の貢に献ると風土記に侍とやらん。月山湯殿を合て三山とす。当寺武江東叡に属して天台止観の月明らかに円頓融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人貴且恐る。繁栄長にしてめ で度御山と謂つべし。


日の落ちた羽黒山に佇み、西の空を眺めれば、はるかな山のあたりに三日月が出ているよ。
たちこめる山気の中に見る月は、神々しくさえ感じられること
である


雑記


鶴岡より
羽黒山に登る。あまり調べもせず来たもので、車で上まで登ってしった。そこにはとてつもない日本一の茅葺の三神合祭殿があった。,階段を上がった祭壇には下から汗をかきながら登って来た人、自分のように労せず車で来た人、それぞれが手を合わせていました。隣にはこれまた茅葺の大鐘の堂がある。ふつう鐘楼は石垣の上にあるものだがここの鐘楼は平地に建っている。逆に芭蕉像はかなり高い台座の上にあり見上げるかたちになる。傍に「三山」の句碑がある。
地図を見ると五重塔はかなり下の方なので、車で行くことにしてまずは料金所をでる。来た道とは反対方向にビジターセンターがありそこで蕎麦を食べる。月山の8合目まで車が行くので今夜の宿捜しを兼ねて途中まで行ってみた。少し外れた所に温泉宿があったが週末のため満室,宿の人の勧めもあり,鶴岡まで戻ってビジネスホテルを捜すことにした。
随神門前の茶店でだんごとカキ氷
(酒田で味をしめた)を食べ、本来の羽黒詣での門を潜る。五重塔へはかなり石段を下り(別世界に下りた感じ)、橋を渡り、薄暗い杉木立をしばらく進み、一の坂手前の脇道を入る。五重塔は杉の大木に囲まれて、それらを貫くように聳え立っている。また傍には、樹齢1000年ともいわれている爺杉があり、塔と高さを競っている。

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芭蕉が宿泊した南谷の別院跡へ行かなかったことと,バイパスを通ってしまい宿坊が並ぶ手向(とうげ)の桜小路 を通らなかったことが悔いに残りました。