(最上川)大石田       本合海
最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き誹諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければとわりなき一巻残しぬ。このたびの風流 爰に至れり。


 大石田町は山形県のほぼ中央に位置し、人口は約8,700人、町の中央を南北に最上川が流れている。
大石田は陸路と水路の接点という地の利から、かつては最上川最大の舟着場として栄えました。
川沿いには、舟運文化を偲ばせる白い塀を描いた特殊堤防が作られている。また、水と緑の豊かな
景観に恵まれ、松尾芭蕉や齋藤茂吉、小松均など数多くの文人や画家が足を運んでいます。


西吾妻山を、水源とし庄内までの県内全域を川筋として日本海に
入る大河川、総延長229キロの流域がすべて山形県にぞくする。

                                         


大石田河岸・下流方面


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船運はなやかりし頃を堤防壁画で再現している


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鳥海山が見えた

 乗船寺・・天文年間(1532-1555)に最上義光の家臣大乗内記が上人を招請して開山したと伝えられている


寺の裏手にある歌句碑

 
斎藤茂吉歌碑

最上川逆白波のたつまでにふぶく
ゆうべとなりにけるかも


 正岡子規句碑
ずんずんと夏を流すや最上川

 

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      本合海