類別に付いて
ここで言う類別とは、植物学等の学術的な分類では有りません。
無教養な管理人には、その様な難しい事は、さ〜っぱり解りません、
単に葉の形の違いや、斑や色彩の違い等の、特徴による類別の話です。
巻柏の特徴による類別の起源は、江戸時代までさかのぼります。
巻柏が特徴別に種類分けされた記録は、元禄八年(1694)に発刊された文献の、
「花壇地錦抄」が始めで
「岩柏、長生不死草共、又岩松共いふ。葉の短くつまりたるハ
たうげひばといふ。是を上とす。片葉長きハすそのひばと言ふ。わしろ」
と、葉形の
長短で二種類に分けた記述が有るそうです。
草木錦葉集
斑入り種の出現は、それから130年余り後の、文政十二年(1829)に発刊された
「草木錦葉集」に
「布入りの濫觴は葉染め分けたる如く縞に白くなるを云ふ、いにしえ
筋と言ひまた銀葉〔いさは〕とも云ふ、安永の初め頃より斑入りと唱える白なるものを
白布と云ひ」
と記してあり、多くの斑入り植物と共に岩檜葉の斑入り種、五種類の図が
掲載されているそうです。
この記述から安永年代〔1772〜1781〕頃より、
岩檜葉も斑入り品種が存在したのではないかとも考えられます。
また、この記録が、葉形や斑や色彩による類別の、始めと言う事に成ります。
この「草木錦葉集」に記録されている巻柏は、次の五品種です。
◎
「善右衛門岩ひば」
(現在の「唐花」だと言われています)
◎
「黄布岩ひば」
(現在の「蜀光錦」だと言われています)
◎
「弥七岩ひば」
(現在の「西ノ有明」だと言われています)
◎
「細葉岩ひば」(
継承種と言われている「細葉岩檜葉」は現存します)
◎
「いただき岩ひば布」
(明治34年銘鑑まで掲載有るが、その後は不明)
この五品種と其の後に付いて、もう少し知りたい方は、ここをクリックして下さい
東都 岩檜葉名寄取組
その後の記録は、天保十四年〔1843〕に発行された
「東都岩檜葉名寄取組」で、56種類の品種名を載せ、
相撲の番付に似せた方式の、品種を格付けした構成で、
現在の銘鑑の、原型とも言える構成になっていますが、
特徴の記述や類別は有りません。
左の「東都岩檜葉名寄取組」は、昭和7年に
誠文堂から発行された「蘭・万年青・巻柏」に
掲載された写真を引用しました。
この銘鑑に掲載された56品種の内、約7割強の品種が現在に引き継がれております。
この時代は巻柏に限らず、園芸全般が盛んであったらしく、この「岩檜葉名寄取組」の
数年後に発行された文献には、次のような主旨の記述が残っているそうです。
「寛政〜文化年代(1800年代始)は、此れまで聞いた事が無い程、生け花(花卉園芸)が
盛んで皆本業を忘れるほどの繁栄振りで、道を行き来する人に、植木を持たない人は
居ないほどの流行で、珍しい草木は百両を超える物もあって、大儲けをした者や、
投機に走り大損をした者も居た」
と、この時代の園芸の繁栄ぶりが記されているそうです。
その後に幕府は、財政建て直しと絡んで、天保13年に「園芸取り締まり令」により、石灯籠、
庭石、鉢植え等の高価売買を禁止したそうですが、その翌年にはこの「岩檜葉名寄取組」が
発行されされた訳ですから、幕府の威光にも拘らぬ、当時の繁栄振りを物語っています。
さらに十七年後の萬延元年〔1860〕に発行された「東都植木屋連中 岩檜葉名寄」は、
品種の格付け方式ではなく、特徴別に十一項目に分類した、構成になっています。
萬延元年 岩檜葉名寄へ
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