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 むろん子どものことではありません。飼い猫クロの話。長くなりそうなので、その1です。


スポイルドキャット

 我が家にはクロという飼い猫がいる。3匹生まれた中から、高校生だった娘が模様を気に入って選び、残りの2匹は知り合いにもらわれていった。生まれたときから「ギャー、ギャー」と鳴き声が一番うるさい猫だった。

            
         < コタツがけの縁で身を寄せ合い、こちらを見上げているのがクロ >
 

 呼び名がクロと決まるには一波乱あった。妻は「ハイジ」がいいと言う。しかし私は自分が呼ぶ時に「ハイジ」では気恥ずかしくてとても言えそうにない。そこで、3音節は言いにくいから、2音節がいい、と理屈を立てて「クロ」を推した。すると妻は、雌なのだからクロではかわいそうだと言って聞かない。猫には意味が分からないのだからいやがることもないだろう、と私も譲らない。最後には娘が「お父さんがこんなにいうのなら(ふだん私が妻に自己主張することはめったにない)お母さんあきらめたら」と言ってくれて、やっとクロに決着した。  

 母猫はミケといい、我が家の猫の一代目。鼠の出没(ねずみ取りの籠を仕掛けておいたら、一度に5匹の大物がかかった時もある)に悩まされた妻が、裁縫の先生からもらってきた。来た時はまだミルクをやる幼さだったが、1ヶ月もすると天井裏で騒いでいた鼠の気配も一掃され、効果てきめんだった。

 クロが乳離れしそうな頃、ミケに不妊手術をしてもらった。動物病院のお医者さんによると、その時すでに身ごもっていたという。知らぬこととは言え、生まれてこれなかった子猫には気の毒なことをした。
 病院から帰ってきたミケは、そのままクロに乳を与え続けた。新しい子猫のために準備されていた乳を、クロが代わりに飲み続けたことになる。こうしてクロは普通の子猫の倍、乳を吸って子猫時代を過ごしたのだった。
 クロは早めに不妊手術をしてもらった。それで、親の経験がない。

            
                       < ミケに甘えるクロ >
 

 後に、甘やかされて育った猫を「スポイルドキャット」と言うと知ったのだが、クロはまさしく根っからのスポイルドキャットだった。


自動車事故と、奇跡 

 ミケは、翌年家の前を通る国道で車にはねられ、死んだ。用事で家を留守にしていた折だった。

 クロも、家の前で車にはねられたことがある。

 隣家の人が教えてくれたのであわてて飛び出して見ると、道路の脇に横たわっている。走ってくる車に接触して1メートルほどはね飛ばされ、立ち上がってよろよろ歩いたかと思うと、また倒れたのだという。
 「クロ」と呼びかけると、頭を上げて目を開け、ギャーと鳴いた。前肢をもがくように動かすのだが、足は立たない。口の周りには唾液とうっすらにじんだ血が付着している。他に目につく外傷はないのだが、道路にも少量ながら黒いシミがついていた。血ヘドでも吐いたのだろうか。

 私は両手でクロを抱き上げると、離れの部屋へ運んだ。座布団の上にそっと置く。クロはぐったりと力なく、目を閉じて長く伸びたままだった。しかしまだかすかに息が感じられ、体も温かい。
 私もその脇に横になると、頭の先から尻尾の端までゆっくり撫でてやった。ミケの時は臨終に立ち会えなかったのだが、今度はこうして撫でてやれるだけいいのかもしれない。せめて息を引き取るまで撫で続けてやろう、と思った。
 妻は一度顔を出して「どう?」と聞いたきり、後は顔を見せない。あきらめたのだろうか。こうなると名付け親だけあって、私の方の情が厚いらしい。なで続ける合間にも思い出が次から次と湧き上がってきて、切ない。
 そうして30分にもなろうとする頃、さすがに撫で続ける腕が疲れてきたなあと思いはじめたころだった。どこからかゴロゴロという音が聞こえてくる。何だろうと聞き耳を立てると、クロだった。動くこともなく目はつぶったままだったが、明らかにそれはクロが気持ちいい時に鳴らすのどの音だった。

 思わず撫でる手を止めて「クロ!」と声をかけると、そのままの姿勢で目を開け、「ニャー」と鳴いた。念のために体を抱き上げ、畳の上に四本の足をたらして立ててみた。すると、しっかり自分の足で立ち、それからいつものように尻尾で足を巻くようにして座り直すのだった。

                    
                    < 得意の尻尾巻き座り(庭で) >
 

 このときの感動はなかなか表現しがたく、後に妻と娘にはこう説明した。
 私はこれまでキリストの復活はあり得ないこととして信じていなかった。しかし、クロの復活劇を目の当たりにしたら、もしかして私にもそれに似たちからがあるのかもしれない、と思うようになった。深い愛情には奇跡を起こす不思議なちからが宿っているのではないか。
 妻も娘も笑うばかりで、私の神通力を天から認めようとしなかったが、それほど私には思いがけない不思議な体験だった。   

 この後もクロが家の前の国道を横断して向かい側に行き来するのを何度か見ているのだが、幸い事故に遭うこともなく、もう17歳を迎えるまでになった。これも奇跡と言えるのではないだろうか。


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