5月25日(日齢26日)
翌26日に腹腔穿刺を一応予定していました。小児外科の医師からは、『ギリギリまで考えていいです。途中で変わってもいいです。』と何度も言われており、私達の中ではまだ結論が出切っていませんでした。ただ、一応明日の穿刺に向け輸血などを行い全身状態をなるべくいい方向にもってゆく準備はされていきました。
25日は医師のほうから『お母さん、抱っこする』と言ってもらいました。つい、嬉しくまた抱っこできるようにしてもらいました。しかし、娘の状態は昨日より悪くお腹はもうこれ以上ふくらみようがないほどにパンパンに膨らんで、肺も心臓も圧迫され、レントゲンでみると未熟児のような小さな肺になっており、心臓も横を向いているようになっている様な状態でした。そんな状態で抱っこしたので、娘も苦しそうで医師が呼吸条件を上げても改善しないため、ギュッと抱きしめ『どっか飛んでいっちゃだめだよ。また、いっぱい抱っこしてあげるから』といって短時間で切り上げました。その後娘は4時間程びくともせず、頭での出血など心配になり、落ち着けませんでした。エコーで検査をしたところ、出血はなく、そしてそのころからモソモソ目覚め始めてくれました。ホッとした瞬間でした。
この日はスタッフには夜まで言っていなかったのですが、夫と『今晩は日向子の側で日向子はどうしたいのか、3人で考えよう』と話していました。夜になって、スタッフの方に『一晩娘と一緒に考えたい』と伝え付き添いを許可してもらいました。そして、個室にあった大人用のベットも使えるようにしてくださいました。私は出産後から足がパンパンに浮腫んでいたので、本当助かりました。
娘は夜中よく目覚めていました。夫が『きっと自分達がいて喜んでいるんだよ』と話した記憶があります。口に手を持ってゆくポーズがお得意なポーズでしたが、よくそうして時々目を開けてくれていました。せっかくベットを用意していただいたのに、ほとんど娘を眺めたり、歌を歌ったりして過ごしていました。
5月26日(日齢27日)
夫と一晩様子をみていて、おしっこも少し出始めてくれ、娘も安定していたので、私達は腹腔穿刺を一旦延期したいと、医師に伝えました。しかし、医師からは『全身状態は改善していない。二酸化炭素の蓄積も悪化しており、状態は良くなっていない。一緒にカンファレンスに加わって話し合いましょう。』と言われました。私達は悩みました。死ぬかもしれない選択が出来ない。逃げることのできない選択をしなければいけないのは、分かっていましたが、出来ない。本当に苦しい時間を10分か20分かそれ以上かしていました。夫が『刺そう』と先に言いましたが、私は返事ができませんでした。そうして悩んでいるうちに娘の容態悪化し、胸が上がらなくなり採血の結果さらに二酸化炭素が蓄積してしまいました。そのデーターをみて、『刺します。お願いします。』と決断しました。
穿刺の全てをガラス越しに見届けさせてもらいました。張り詰めた緊張の中、穿刺は成功し、血圧の大きな変動も起こさず、徐々に呼吸状態が改善してゆく様子が見えました。腹水は持続排液出来るように留置し、ある程度排液した時点で小児外科の医師より、『ショック等の危険はもう大丈夫です』と言われ、安堵しました。そして娘の側にゆくと小さくしぼんだお腹を見てホッとしスタッフの方々に『ありがとうございました』とそれしか言葉が出て来ませんでした。娘の体を見てスタッフの皆さんは、『小さくなったね』と驚いて喜んでいました。本来、子供は大きくなって喜ぶところ、娘の場合小さくなって喜びに湧きました。
その晩は、娘も落ち着いていたので、21時半ごろには帰宅し一息つけた晩でした。
5月27日(日齢28日)
腹水を抜き始めて呼吸状態が改善したのと、腸が動き出しはじめました。しかし、良いことばかりでなく、元々アンモニアが150前後と正常よりは高かったのが、いきなり300と上がってしまいました。医師は腹水で排出する今の方法が一番効率のいい方法と言っており、それに願いを託すしかありませんでした。
娘は、昨日の鎮静もとれ、母乳を吸わせためん棒をチュパチュパよくやってくれていました。一見見た目には、少し元気になったかなという感じでしたが、アンモニアが気がかりでした。
5月28日(日齢29日)
呼吸も改善し、腎不全で老廃物を排出できなかった状態も腹水から排出でき、もろもろが改善してゆく中、アンモニアが500台に上昇。夜には600台へ。医師もどんどん腹水を抜いていくものの、上昇し続けるアンモニアにより、娘は神経症状が出はじめ不随運動をおこしはじめました。排便もあり、とにかく腸を動かして少しでもアンモニアを下げようと母乳も3時間おきに経管から注入しはじめました。
このままだと、娘は壊れていってしまう。何とか、アンモニアが下がってくれないかと念じるだけでした。