古代史の『偽装」−過去の事実と現代日本ー


・「何を作ったらいいのか、分からないんです」

・古代史の「成果」

古代史の「危機」ー歴史学の意義ー


古代史の「危機」と現代社会ー「知」と現代社会ー

・(U)の機能不全・「個別細分化」と古代史学界ー「事実と理論の緊張関係」ー

・古代史の「偽装」ー「知」と人権ー

・「危機」・「偽装」はなぜ、起こったか?

・過去の事実と現代日本ー「知」とマスコミー


「何を作ったらいいのか、分からないんです…」!?

「もう、どんな製品をつくったらいいのか、分からないんです…」ー社員がこっそり「本音」で言うならともかく、こんなことを公言する企業があるとしたら、あなたはその製品を買うだろうか。恐らく、「それでも買います」という人は少数派だろう。ますます厳しさを増すこのご時世、「うちの製品は無用の長物です」と言っているような企業が生き残れるはずがない。

しかし、日本にはそれでもやっていける世界がある。学界という世界ー少なくとも日本史学界という世界がそれである。

本稿は、この日本史の中の、古代史の「危機」とその「偽装」に関するレポートである。「なんだ、学者さんの話か。我々とは関係ないね。」などと、どうか思わないで頂きたい。過去の事実は現在の鏡であり、未来への道標である。それを扱う学問がいかなる状況にあるかは現代日本の一断面を確実に示す。そして、東日本大震災における原発事故により研究者の社会的責任が改めて厳しく問われる今日、この断面はますます直視されなければならないのである。

 なお、歴史学には主として文献資料による文献史学と、主として出土資料による考古学とがあるが、本稿で扱う「古代史」は原則として前者を指す。また、西暦は原則として下二桁のみを記す(「二〇一一年」→「一一年」)。引用する文献には一部、専門的な学術論文・文献が含まれるが、学界の現状を示すためである。ご了承願いたい。
最後に、本稿で引用する拙稿は、すべて私設HP「井内誠司『日本古代史論集』」で発表しており、「論文総目次」から閲覧可能である。

古代史の「成果」

 とはいえ、古代史の「危機」と言われても、ピンとこない読者も多いに違いない。学問研究の現状を一般の人々に伝える機会は限られている上、そこでは「成果」が語られることが多いからである。古代史の「成果」としては、ざっと以下のものが挙げられる。

(1)研究それ自体の「成果」…後述のような研究の低迷もあって、「成果」として特に強調される研究は多くはないが、近年では田中史生『越境の古代史』(ちくま新書、〇九年)が『朝日新聞』の書評欄で好意的に紹介されている(〇九年四月一二日付朝刊。書評執筆者は広井良典)。(2)新資料の発見…出土資料を中心に新資料の発見が相次いでいる。〇四年に、それ自体文献資料でもある、唐(当時の中国)で没した日本の遣唐留学生、井真成の墓誌(以下、「井真成墓誌」)が中国で発見されたことは、ご記憶の方も多いだろう。(3)国際交流の進展…韓国・中国など東アジアの研究者を中心に研究の国際交流が進んでいる。〇七年には、日韓の研究者の共同研究による歴史教科書『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史』(明石書店)が発表された[i]。(4)学際研究の進展…他の学問領域との共同研究である学際研究が進展している。災害への対応という社会的要請にも対応し得る学際的研究の場として歴史地震研究会などがある(北原糸子「歴史地震研究会と歴史学研究」〔『歴史学研究』八四一、〇八年〕)。(5)市民運動への参加・連携…最後は市民運動である。遺跡・遺物などの保存運動は学会などが粘り強く取り組んでおり、このような保存運動の一環とも見なし得る「陵墓」の公開運動については、近年、大きな成果が見られた(粟野仁雄「応神天皇陵の立ち入り調査は陵墓公開の突破口になるか」〔『週刊金曜日』八三八号、一一年〕など)。また、阪神・淡路大震災をきっかけに始まった災害時の被災資料保全活動は、今回の東日本大震災でも活躍中である(『歴史学研究』八八〇、一一年、七四〜五頁など参照)。さらに、「つくる会」教科書の採択阻止運動には、著名な古代・中世史研究者も参加し、同教科書の採択阻止に貢献している(服藤早苗[ii]「杉並区による扶桑社版歴史教科書『継続』決定の問題点」〔『歴史学研究』八六一、〇九年〕など)。

こうして見ると、「時節柄、厳しいとは思うけど、古代史、頑張ってんじゃないの?」という声が聞こえてきそうである。

古代史の「危機」ー歴史学の意義ー

 では、なぜ「危機」なのか?その問題に入る前に、歴史学の意義について触れておこう。もちろん、論じ出せば切りがないが、最低限、次の二点が挙げられる。

(T)過去の事実の確定

(U)過去の事実の意義の把握

前述の「井真成墓誌」を例に説明しよう(以下、井真成についての基本的事実は、『遣唐使の見た中国と日本』〔朝日選書、〇五年〕などによる)。(T)は、例えば「井真成とは誰か?」といった問題である(現在では葛井氏説や井上氏説などがある)。この種の問題は、ミステリー小説を読むような面白さがあり、いわゆる「古代史ファン」の垂涎(すいぜん)の的となる。しかし、これだけでは年表が詳細になるだけなので、歴史学が学問として機能しているとは言えない。

 (T)と同時に重要なのは(U)である。(U)は、例えば「七一七年から七三四年まで唐に滞在し、三六歳で、同地で客死した井真成の生涯はどういう意義を持っていたのか?」といった問題である。もちろん、すぐに結論が出る問題ではないが、このような問題への取り組みが、単なる過去の事実の羅列ではない歴史叙述・歴史像の構築につながり、歴史学が学問として機能することになる。

 ここで、古代史の「危機」というのは、この(U)が機能不全に陥っているからである。この点を端的に示すのは、古代における国家・社会の歴史的特質に迫る研究が全く発表されていないことである。例えば、歴史学界を代表する学術雑誌の一つである『史学雑誌』が、毎年五月号に歴史学界の一年を概観する特集(通称「回顧と展望」)を組んでいるが、文献史学が主たる対象とする八世紀(奈良時代)以降について、「国家論」「社会論」の項目が存在しないことも少なからずある(〇六・〇八年度。なお、それぞれ〇五年度・〇七年度の概観)。項目がある場合でも、収録された研究は、後述の「事実と理論の緊張関係」の欠如という問題を抱えており、基本的に個別的提起・研究と見るべきである。そもそも、古代国家・社会論における「事実と理論の緊張関係」の欠如という問題は、筆者が大学院生だった九〇年代前半にはすでに顕在化していた(拙稿「『上部構造』論と律令制国家論」参照)

古代の個別事実が、基本的に国家・社会の産物である以上、後者の特質の把握を欠いて、前者の意義を把握することは困難である。例えば、井真成の生涯の意義は、当時の国際交流・遣唐使の意義と不可分であり、その意義をつかむには、国際交流・遣唐使を生みだす古代国家・社会の歴史的特質の把握が深化しなければならない。その深化に寄与する研究が発表されていない以上、(U)は機能不全に陥っていると考えざるを得ないのである。

 したがって、前述の(1)〜(5)の「成果」も、厳密な意味では、必ずしも「成果」とは言えないものである。(1)研究それ自体の「成果」については、本来、このような「危機」を抱えては、「成果」として誇り得る研究は生まれない。古代における「アジアンネットワーク」を扱った前述の田中氏の著書も、その特質に関する結論は「様々な不安定要素を抱える国際交流の世界にあって、そのあり方や歴史を規定する要因は、政治的関係から個々の人間関係にいたるまで、極めて多様で多層的で複合的であった。」(二二二頁)というものである。これは「古代のアジアンネットワークは色々な関係によって成り立っていた。」と言っているだけで、歴史的説明になっていない。「成果」というよりも「危機」を露呈するものと評価すべきであろう[iii]。(2)〜(4)は、前記の(T)・(U)を深化させるために存在していると言っても過言ではなく[iv]、「危機」が存在する以上、十分に機能しているとは言えない。なお、古代史の「危機」は、後述のような現代日本という国家の特徴(それと結びついた学界の構造)と不可分であり、(2)〜(4)のような「成果」を蓄積していけば、いずれ克服されると考えるのは牧歌的見解である。

 (5)の市民運動は、学問研究からは独立性を持っているので「危機」と直接、関連するわけではない。しかし、歴史にかかわる市民運動は、つまるところ、「過去の事実の意義を、いかに一般市民に伝えるか」が課題である。古代史の「危機」を示す(U)の機能不全は、一般市民に伝える以前に、研究者が過去の事実の意義をつかめなくなっていることを示している。運動の側からも、問題とすべき事態であろう。

(1)〜(5)自体の意義を否定するつもりはないが、それを本来の意味の「成果」とするためには、「危機」こそが直視されねばならない。

古代史の「危機」と現代社会ー「知」と現代社会ー

 古代史の「危機」は、現代社会においてどのような意義を持っているだろうか。一三年連続で三万人を超えた自殺者、「うつ」の蔓延が端的に示すように、現代社会の特徴は「生存」それ自体が基本課題であることである。これは「知」ーここでは、「事実を知り、その意義を考える」といった程度の一般的意味ーが、現代(いま)ほど必要とされている時代はないことを示している。

一例を示そう。日本の小中学生・高校生たちが等しく抱くであろう疑問に「なぜ、こんなに勉強しなければならないんですか?」というものがある。この問いの背後には、過熱する一方の受験競争による自尊感情の破壊がある。このような感情の破壊は自己否定につながりやすく、将来の「うつ」・自殺、また自分より弱い者への虐待の温床にもなりかねない[v]。仮に、このような問題につながらなかったとしても、この問いは、彼らの「生」における多大な「犠牲」の意味を問うものであり、極めて切実である。現代では、このように「生」それ自体と密着した形で「知」が要求されている。

現在、小〜高校生たちが一般に信じ込まされている、前記の問いへの回答は、「頭を『良く』するため」「自分を『強く』するため」といったものである。前者は、「色々な知識を身につける」、後者は「『嫌なことが』があっても、負けずに乗り切れるようにする」といった意味合いが強い。しかし、前記の問いの切実さを考えれば、このような教養・自己修養の一般的意義を説くだけの見解が、回答として不十分なのは明らかである。「なぜ、自尊感情を破壊されてまで、頭を『良く』したり、自分を『強く』したりしなければならないか?」という疑問への回答になっていないからである。当然、問題にすべきは、自尊感情破壊の直接の原因である、競争である。
 問題は、古代史の立場から前記の問いへの回答が可能か、という点である。結論から言えば可能である。日本の小〜高校生がこんなにも勉強しなければならないのは、「意識の内部の支配」のためである。「意識の内部の支配」とは、基本的には、現在の日本古代史研究の枠組みを作った石母田正が七三年に提示した概念である(
『石母田正著作集 三』〔岩波書店、八九年〕、三六〇頁。ただし、「意識の内部の支配」という言葉自体は使われていない)。筆者なりに概念規定を示せば、「労働への従事と規律への服従を被支配者の内面から行わせるための支配」ということになる。古代においては官人(官僚)に対して課せられた。

 この支配の基本的手段は昇進ーすなわち「出世」ーであった。必然的にそこでは競争が不可避となる。もちろん、古代の官人の世界の競争と、現代の教育現場における競争とを同一視することはできず、前記の問いに全面的に答えることはできない。しかし、受験競争がこのような古代以来の競争の性格を継承している側面があることは、それが学歴ー「出世」ーにつながっていることから明らかである。そして、このような歴史的事実は、「受験競争での失敗は、自分の存在意義の否定を意味しない」という見解を根拠づける上で極めて重要である。「受験競争での失敗は、単に支配層の『支配』に適合しなかったというだけであり、自分の存在価値を奪うものではない」という見解につながるからである。本来、教師・父兄を中心とする一般の人々に広く周知され、また、できるだけショックを与えない形で、「当事者」である小〜高校生たちに伝えられなければならない事実であろう。そのためにも、「意識の内部の支配」の特質・意義についての、豊富な知見の提供が必要である。そもそも、このような提供は、教育現場の荒廃(さらには職場における過労死など)が顕在化した八〇年代後半には行われるべきであったと考えられる。

 しかし、前述の「危機」を抱えていては、古代史の立場からのこのような提供は不可能である。(U)が機能不全である以上、古代における昇進・競争に関する個別事実の意義がつかめないからである。当然ながら個別事実の相互関連性も把握できず、昇進・競争の全体的な歴史的特質もつかめないことになる。出来ることは、昇進・競争に関する諸事実を寄せ集めるぐらいで、「意識の内部の支配」自体の歴史的特質については、「七三年に、石母田正という人がこういうことを言っていました」という以上のことは、ほとんど言えないのである。

前記の「知」への要求の切実さ、そして後述の、研究者の、社会的責任についての厳しい自覚の必要性をも考慮すれば、古代史の「危機」は現代社会において「自殺ほう助」に近い意味さえ持っていると言えるだろう。

(U)の機能不全・「個別細分化」と古代史学界ー「事実と理論の緊張関係」ー

 古代史の「危機」を考えるにあたって、直接の問題となるのは前記のように(U)の機能不全であるが、これは別の面から言えば「個別細分化」と言われる現象でもある。学問が専門分化していくことによって、研究の全体像が見失われ、個別領域の位置付け・相互の関連が不明になっていく現象で、学問の精密化による不可避の現象とされることも多い。

 もちろん「個別細分化」と言っても、色々なレベルがあるのだが、ここで「危機」として取り上げている「個別細分化」は、このような「学問の宿(しゅくあ)」なのだろうか。結論から言えば、そうではない。問題は学問それ自体ではなく、学界にある。すなわち、ここで問題とする「個別細分化」は「人災」なのである。

第一に、歴史学の社会的機能・責任から言って、(U)の機能不全はあってはならない。(U)は、古代史研究の学問としての基本的意義にかかわるのであって、その機能不全は一般企業で言えば、業務自体が成立しないといった事態である。もちろん、何をもって業務として成立していると見るかー研究として、一応の「完成品」に達していると見るかーは状況によるので、(U)に問題があるからと言って、一概に歴史学が学問として機能していないとすることはできない(そもそも、(U)の深化は、歴史学の不断の課題であり、その意味では「問題のない」状況はあり得ない)。しかし、古代史のようにそれが機能不全に陥るような事態はあってはならない。

 第二に、古代史に与えられている研究条件からすれば、(U)の機能不全は、本来、起こらないということである。

 この問題の鍵となるのは、「事実と理論の緊張関係」である。これは歴史学の「方法」に関する見解で、前述の石母田正が提示した概念である(『石母田正著作集 四』〔岩波書店、八九年〕八三頁以下。『同 三』〔前掲〕四頁も参照)。簡単に言えば、

(ア) 国家の一般的諸特徴を踏まえ、

(イ) それを歴史的事実によって検証していく

という「方法」である。この「方法」は、(ア)の「国家の一般的諸特徴」について、古代史独自の知見を生み出し、古代国家及びそれを生みだす古代社会の歴史的特質の把握を可能にし、新たな国家理論の創造に寄与するとされた。例えば、前述の「意識の内部の支配」は、現代官僚制においても行われており(教育現場でも行われているが、歴史的に言えば官僚統制の方が基本ということになる)、国家の一般的諸特徴の一つと言える。古代の昇進制度(考選制度と言う)の検討は、古代におけるその独自の在り方を提示し、国家に関する知見を豊富化し、古代国家・社会の歴史的特質の把握、新たな国家理論の創造につながることになる[vi]。石母田はこの「方法」によって、『日本の古代国家』(前掲『石母田正著作集 三』)という、古代史研究者の間では「金字塔」として名高い圧倒的成果を生み出した。

(U)の機能との関係で重要になるのは(ア)の部分である。引き続き、「意識の内部の支配」を例に説明すれば、古代国家の考選制度は極めて複雑で、その基本的内容の把握だけでも高度な専門知識を必要とする。しかし、それはあくまで「意識の内部の支配」の基本的手段と位置付けられて、初めてその意義をつかむことができ、現代官僚制や教育現場における問題とも接点を持ち得る。(ア)なくして、(U)は機能しない。

「(ア)の『国家の一般的諸特徴』とは具体的に何か」という点については、すでに石母田がーその検証から独自の古代国家論を構築している以上ー提示している。その後、石母田以上に古代国家を全面的に論じた研究は表れておらず、その特徴に関する見解(論点)は基本的に継承可能である[vii]。すなわち、古代史においては、「石母田が提示した論点を、その後の個別事実に関する研究成果を踏まえて検証すれば、古代国家・社会の歴史的特質に迫り得る」という状況になっている。もちろん、学問である以上、このような検証も決して簡単なわけでないが、『日本の古代国家』の存在は学界では常識であり、「事実と理論の緊張関係」という「方法」も周知に属する。研究条件としては、現在のような「古代国家・社会の歴史的特質については手も足も出ない」という事態は、本来、あり得ない。すなわち、(U)の機能不全は、本来、起こらないはずの問題なのである。

にもかかわらずー驚くべきことにー、少なくとも八〇年代後半以降は、(ア)を踏まえた研究はほとんど存在しない。そもそも、「事実と理論の緊張関係」を踏まえたり、時代にふさわしいそのあり方を追究したりした研究は全くないのである(拙稿「機構論における『人格的身分的結合関係』とは何か?」。実際、石母田以後も、考選制度に関する研究は蓄積されているが、「意識の内部の支配」の研究として行われたものは皆無である。いかに高度な専門知識に基づくとはいえ、このような位置付けを欠けば、ただの過去の事実の集積であり、社会的には、知的関心が高い一部の人たちの興味に応える程度の意義しか持たない。

古代史においては、本来、起こってはならず、また起こるはずのない問題が、現実には発生し、しかも常態化している。(U)の機能不全・「個別細分化」は、研究者・学界の根深い構造的欠陥によると見るべきである。

古代史の「偽装」ー「知」と人権ー

 以上のような状況にも(かんが)み、筆者は、古代史の「危機」が存在するにもかかわらず、

(A)それが一般には必ずしも周知されず、

(B)したがって、「危機」の具体的内容・原因・改善の方向性などが真摯に掘り下げられない状況

を古代史の「偽装」と名付ける。すなわち、犯罪とされた耐震偽装や食品の安全管理の偽装などに、少なくとも極めて近い性格の問題と考える。根拠は以下の通りである。

第一に、(a)業界・学界の社会的機能・責任からすれば、本来、起こってはならない問題が、(b)一般の人々に知らされない間に、(c)生じている、という点で、両者は酷似している。(d)技術的・「方法」論的側面から言えば、本来、その問題は起こらない(防ぎ得る)、という点も共通している。

第二に、その問題が、一般の人々の人権に関わるという点も同様である。もちろん、古代史の「危機」によって、直接、生命・財産などを奪われたり、その安全を脅かされたりした人がいるわけではないが、これは現代人の生命・財産などを直接、扱わないという歴史学(かなりの部分は、人文科学全体の特徴でもある)の独自性によるものである。このような独自性を有するからと言って、人権との関わりを否定することはできないことは、「古代史の『危機』と現代社会」で述べた通りである。そもそも、関わりがないとすれば、二一世紀において、古代史が学問として存在している意義がないであろう。

ただし、「偽装犯罪」でみられた組織的隠ぺいは、古代史の「偽装」においては行われていない。この点は、後述の『日歴』特集のように、学界の現状に対する危機感が折に触れ表明されていることから明らかである。

誤解のないようにしていただきたいが、そもそも、古代史の「偽装」によって、古代史研究者が、(1)経済的利益を得たり、ましてや(2)法に触れる行為をしたりしたことは、全くない。古代史研究者の大半は、恵まれない経済的条件・研究環境の下、研究に従事しており、そういう意味では「善良」な人たちである。

しかし、これも(1)´必ずしも、経済的価値を伴わず、(2)´前述の独自性とともに、「学問の自由」の観点から国家権力から一定の独立性を有する、という、古代史・学問の独自性によるものに過ぎない。組織的隠ぺいも、このような条件が失われれば、行われるだろう。

このような独自性を有するからこそ、研究者・学界には、単に「善良」であるだけでなく、その社会的機能・責任について厳しい自覚が求められる。現代という時代において、なおさらそれが必要であることは前記の通りである。

前記の(A)・(B)は、古代史の「偽装」と名付けるべきである。

「危機」・「偽装」はなぜ、起こったか?

 では、古代史の「危機」・「偽装」はなぜ、起こったのだろうか。第一義的責任が研究者・学界にあるとしても、(1)それにとどまらず、問題を現代日本における学問の位置付けの問題として捉え、その上で(2)研究者・学界の構造的欠陥を具体的に把握することが重要と考える。

 とは言え、第一に挙げるべきが、「当事者」である研究者・学界の問題であることは言うまでもない。その根本的原因となるのは、古代史に限らない日本史学界全体における、社会的機能・責任に対する自覚の欠落と考えられる。

まずは、次の言を聞いていただきたい。『史学雑誌』と並ぶ日本史学界を代表する学術雑誌の一つ、『日本歴史』が〇九年に組んだ特集「日本史研究に望むこと」の巻頭言である(同誌七二八。文責は遠藤基郎。以下、「『日歴』特集」)。

学術領域をめぐる環境は厳しくなってきています。…一部では「日本史研究はすでに歴史的な使命を終えてしまったのでは?」という悲観的な声すら囁かれ始めています。一つの学問分野の危機とも言えるでしょう。

 こうした状況を打開することは、もちろん私たちの責任ではあるのですが、そのためにも外部の方々のご意見に耳を傾ける機会が必要であると私たちは考えました。(傍線は引用者による)

というわけで、日本史研究者以外の人たちに(1)日本史の学術的社会的有用性とは何かを尋ね、さらに(2)辛口の注文を依頼したのがこの特集である。

 冒頭で、「『もう、どんな製品をつくったらいいのか、分からないんです…』と公言している」と評したのがこの特集である。研究環境の悪化が問題であり、改善を求めていくのは当然だが、本来、研究者はこのような状況に抗し、社会的機能・責任を果たさねばならない。研究環境が悪化している状況だからこそ、前述の社会的機能・責任に対する厳しい自覚はますます必要なのである。にもかかわらず、「日本史研究は歴史的使命を終えた」(傍線部)という声に具体的反論もせず、その「学術的社会的有用性」(1)を外部の人に尋ねる姿勢に、このような自覚は微塵(みじん)も見られない。実際、特集協力者の中にも「(歴史的使命を終えてしまったと)“自らそう思うならば学のステージからは降りたら”と思う次第。」(石川徹也。その後に、「新たな使命の発見」を他者に求め、その言を参考にするのは無責任との趣旨の言が続く)といった厳しい意見が見える(四頁)。

 そもそも、この特集で「学術領域をめぐる環境」として取り上げられているのは、少子化などに伴う大学・博物館などの予算削減が主で、自殺者にも、「うつ」・「貧困」に喘ぐ人にも、厳しい競争にさらされ続ける小〜高校生たちにも、基地負担に苦しむ沖縄にも、まったく言及していない。自分に直接、関係しない人の苦難を「他人事」にすること自体、研究者としてあるまじき態度だが、そもそもこういう姿勢で社会的立ち位置(「学術的社会的有用性」)などつかめるわけがない。まして、外部の人にそれを尋ねるなど「あり得ない」話と言える。「謙虚さ」を演出する優等生的な言葉遣いだけが、空しく響く巻頭言である。

 「社会において、何をなすべきか」を自分で決められない人たちが、「危機」を招き、また、その具体的内容・原因・改善の方向性の掘り下げを真摯に行い得ない(「偽装」ーB)のは、当然である。特に、「偽装」ーBのような掘り下げは、誰かの責任を追及することにつながり、軋轢を伴う以上、なおさらと言ってよい。まして、一般の人々への周知の徹底(「偽装」ーA)など行われるはずがない。

日本史学界の現状では、「危機」とその「偽装」は必然なのである。

 なお、筆者はこのような学界の状況にも鑑み、研究職への道に見切りをつけ、〇一年から、学術雑誌や学術書ではなく、前掲の私設HPで論文を発表している。前述の「事実と理論の緊張関係」の問題をはじめ、「危機」の克服に寄与する論文を発表しているつもりだが、学界からの反応は基本的に梨のつぶてである。これも、根本的にはこのような自覚の欠落が原因であろう。

 しかし、研究者・学界だけを糾弾すれば問題を克服できるのかというと、そうではない。第二に挙げるべきは、政府の政策である。

そもそも、日本政府の歴史学(というより、人文科学全般であろうが)に対する支援は貧弱で、筆者が大学院生だった九〇年代から研究職のポスト不足は常態化していた。多大な業績を挙げながらも、生業は高校教師・予備校講師といった人は珍しくなく、むしろこういう人たちが学界を支える側面の方が、ある意味では強かったぐらいである。また、運よく研究職を得た人たちも多忙を極めていた。そこへ、新自由主義による「改革」である。「大学改革」や博物館などにおける「改革」の悪影響は、前記の『日歴』特集の述べる通りである。高校・予備校など本来、研究が本務と位置付けられていない職場では言うまでもない。研究者は、以前にも増して繁忙となり、時間的・精神的余裕を失っていた。それは、「危機」の具体的内容・原因・改善の方向性(「偽装」ーB)を、落ち着いて、自分の頭で考える環境が奪われていったことを示している。実際、古代史研究者が、日本史学界の問題を語る際の言葉は、「大学改革」への批判や「個別細分化」の指摘のような、「どこかで聞いたような話」に終始することがほとんどなのである。

 第三は、マスコミの機能不全である。これも、まず次の言を聞いていただきたい。

 人文学は社会の医師であるべきだと私は思っている。健康な時には不要でも、社会が病んだ時には、智恵の海から薬効のある(しお)をくみ出し届ける使命を担っているのではないだろうか。(傍線・ルビは引用者)

この意見自体は至極、真っ当で、仮に当の日本史研究者の言であるとすれば力強い限りと言える。しかし、残念ながら(?)これは朝日新聞記者・渡辺延志氏の言である。とは言え、記者としての立派な見識を示すものと言える。

 問題は、これが前記の『日歴』特集への回答(一〇九頁以下)だということである。人文学の一部である日本史研究が「社会の医師」(傍線部)としての機能を有するとしても、当の研究者に自覚がなければ「智恵の海から薬効のある(しお)をくみ出し届ける」など「絵に描いた餅」である。そして、その自覚のなさは、前記の巻頭言を見れば明らかである。

 「病気を治さねばならない」という自覚を欠いた医師ほど、患者にとって迷惑な存在はない。これは前述の古代史の「危機」の現代社会における意義(「古代史の『危機』と現代社会」の項参照)を考えれば明らかであろう。本当に日本史研究も「社会の医師であるべきだ」と考えているのであれば、まずこの特集の問題を広く社会一般に周知すべきであるが、筆者の知る限り、このような記事はいまだ発表されていない。

実は渡辺氏の、この文章における学界への批判は鋭いものがあり興味深いと言える。しかし、いかんせん、学術雑誌では一般には周知されない。また、ここで指摘された学界の問題点につき、一般の記事中で取り上げられている可能性もあるが、広く認知されているとは言い難い。

 以上は、かつての「旧石器ねつ造事件」のようにあからさまな「不正」でもなければ(それも、二五年近く放置されてきたのだが…)、学問の社会的機能・責任についてマスコミのチェックが働かないことを示している。

 古代史の「危機」・「偽装」の、学界における根本的原因である社会的機能・責任に対する認識の欠落は、恐らく明治期の近代日本史学界の黎明に遡る根深い欠陥である。例えば、前記の石母田正は、六七年の段階で、日本史学界における前述の「事実と理論の緊張関係」の不足を指摘しているが(前掲『石母田正著作集 四』)、それはこのような学界の欠陥と関連するものと考えられる。すなわち、この欠陥は六〇年代以前には存在し、それが戦後一五〜二〇年の段階であることを考慮すれば、戦前・明治期まで遡ると考えられる。そして、それはー石母田の指摘にもかかわらずー現代に至るも克服されていないのである。 

当然、その具体的把握には、一定の条件が必要となる。しかし、そもそも欠陥を抱える学界自体によっては、その内容の把握・克服自体が主要テーマとは認知されない[viii]。さらに、第二の政府の政策によって、そのための現実的な条件が奪われ、第三のマスコミの機能不全によって、問題が一般に人々に周知されることがなく、ますます助長されるという構造になっている。

古代史の「危機」・「偽装」はこうして起こったのである。

過去の事実と現代日本ー「知」とマスコミー

 以上の検討を通して、浮かび上がってくるのは、「過去の事実は、人間が生きるために必要である」という認識を欠落させた、現代日本の姿である。このような問題を政府が抱えることは、ある意味では当然とも言えるが、それに留まらず、当の研究者・学界、マスコミにまで通底している。そして、この「過去の事実」を学問・知一般に置き換えることも、一定度は可能であろう。

 しかし、前記のように、「生存」それ自体が基本課題となる時代にこそ、「知」が切実に要求されているのである。以上は、われわれの基本的人権を奪うものが、社会保障制度の貧困や企業の利益至上主義だけではないことを示している。

 このような状況を打開するために、重要なのはマスコミの役割である。第一に、この問題に政府・行政を介入させてはならない。「学問の自由」が侵害される恐れがあるからである。もし、このような事態になれば、一般の人々の基本的人権を奪うために学問が利用されることになりかねない。

 第二にー極めて残念ではあるがー、古代史・日本史学界に自浄能力は基本的にない。この点は『日歴』特集に明らかだが、もう一つ、根拠となる事例が存在する。『史学雑誌』『日本歴史』と並ぶ、歴史学界の代表的学術雑誌の一つ、『歴史学研究』(編集:歴史学研究会〔以下、歴研〕)が〇三年に組んだ特集である。

 その特集のタイトルは「古代国家論の現在ー石母田正『日本の古代国家』発刊三〇年を契機としてー」(同誌七八二。なお、表紙の「古代史研究の現在」は誤植〔同誌七八三、六三頁〕参照〕)である。副題にあるように、前述の石母田正『日本の古代国家』発刊三〇年を機に組まれたものだが、内容的には石母田に対する批判が主調となっている。すなわち、石母田を乗り越えようと、古代史学界が三〇年にわたって蓄積してきた「成果」を誇示する内容である。

 しかし、古代史の「危機」の具体的内容・原因・改善の方向性の掘り下げは行われておらず、典型的な「偽装」行為となっている。実際、日本古代史については八本の論文が掲載されているが(「問題提起」を含む)、特集刊行後、七年以上を経過した現在においても、古代国家・社会の歴史的特質の把握に結実した論文は一本もない。すなわち、「成果」を誇示するばかりで、「危機」の克服には何ら寄与していないのである。

 しかし、最も特筆すべきは、この特集が古代史学界のほとんど総力を挙げて企画されているということである。世代的には「長老」から若手・中堅クラスまでが、地域的には歴研が本拠とする東京のみならず関西の研究者も参加している(ちなみに、中国史・朝鮮史の研究者も参加している)。しかも、特集に先立って歴研の日本古代史の専門部会である日本古代史部会で勉強会が五回にわたって開催され(準備会を含む)、歴研に関係の深い第一線から若手クラスの研究者が総動員に近い形で報告している(『歴史学研究月報』五二一〔〇三年〕・五三三〔〇四年〕)

 古代史だけではないと思うが、学界という所は利害関係が複雑に錯綜している。基本的な方向性が一つに定まってしまえば、たとえ一人二人が疑念を抱いたとしても、実際に声を上げることは難しい。まして、若手研究者であればなおさらである。このような特集がこのような形で組まれているということは、古代史学界が自らの「危機」を自らの手で克服することができないことを示している。

 とすれば、「危機」の克服において、「外部の目」が重要な役割を担うのは必然と言っていい。学界の具体的問題点を掘り下げ、マスコミを通じて広く社会に周知する必要があろう。ただし、現在では、先の大戦における日本の加害責任にかかわる事実の否定・隠ぺいに見えるように、歴史的事実の意義をわきまえない保守派マスコミが跋扈(ばっこ)しており、本来の意味での「危機」の克服に寄与するマスコミとの関係構築には困難が予想される。「人間が生きるためには何が必要か」をどれだけ豊かに捉えられるかが、研究者・マスコミ双方の重要なポイントになろう。

 とはいえ、「危機」克服の第一義的責任を、研究者自身が担っていることは当然である。時代の要請に応え得る歴史像を提供するとともに、学界の具体的問題点を掘り下げ、一般の人々に伝え、克服に寄与することを、自分の課題として活動していきたい。


(了)



[i] なお、古代史とは関連しないが、日中韓の歴史学研究者による近現代史の教科書も、発表されている(『未来をひらく歴史―日本・中国・韓国』高文研、〇六年)。

ii] 服藤氏は古代・中世の女性史・家族史などにつき多数の業績を発表している。

[iii] 田中氏の扱うアジアンネットワークは、古代における「日本」という国家・社会の枠に収まらないものであるが、「枠に収まらない」という限りにおいて、国家・社会と関連を持つのであり、やはり後者の特質の把握の深化を欠いて、前者の特質・意義を把握することは不可能と言える。

[iv] ただし、(4)の学際研究の場合、(T)(U)の深化はあくまで歴史学の側にとっての意義に過ぎない。パートナーとなる他の学問領域にとっては、当然、別の意義があるはずだが、ここでは歴史学の問題にテーマを限定する。

[v] 高校二年生以上の自尊感情に関する調査は存在しないようであるが、基本的に低い日本の子どもの自尊感情が高校二年生以上で急激に回復する可能性は低いと見られている(古荘純一『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』〔光文社新書、〇九年〕二二〇頁など)。また、古荘氏が述べるように、日本の子どもの自尊感情が低い原因は複合的で、受験のみを問題にすることはできないが、受験体制が、自尊感情を発達させる上で必要な「子どものありのままを認める」状況から程遠いことは間違いなく、自尊感情低下の大きな原因の一つとすることはできよう。

[vi] 尤も、石母田はこのような豊富化を蓄積さえしていけば、古代国家・社会の歴史的特質の把握、新たな理論の創造が可能になると考えているわけではないが、この点については割愛。

[vii] なお、古代国家も国家である以上、その特質を説明できない論点は、国家の「一般的特徴」とは言えない。

[viii] 前述の「危機」同様、このような欠陥自体は折に触れ言及されているが、十分に追究されているとは言えない。